(14) 2009/2010シーズン公演(最終更新日:2010.6.26)-------- (大部分の画像は、クリックすると大きくなります)

2009.9.29:「オテロ」
2009.10.10:「声」、「マノンの肖像」
2009.10.31:「魔笛」
2009.11.18:「ヴォツェック」
2009.12.6:「輝きの果て」
2010.1.13:「月を盗んだ話」
2010.1.16:「マダム サン・ジェーヌ」
2010.2.11:「ジークフリート」
2010.3.13:「ファルスタッフ」
2010.3.21:「神々の黄昏」
2010.4.18:「愛の妙薬」
2010.5.20:「影のない女」
2010.6.15:「カルメン」
2010.6.25:「鹿鳴館」


《過去のシーズン公演》:  1999/2000 * 2000/2001 * 2001/2002 * 2002/2003 * 2003/2004 * 2004/2005 * 2005/2006 * 2006/2007 * 2007/2008 * 2008/2009

2009.9.29:「オテロ」

新国立劇場の2009/2010シーズンのオープニング公演として。 ヴェルディの後期の傑作「オテロ」が上演された。筆者が「オテロ」の実演に最初に接したのは、 50年以上前のNHK主催の「第2次 イタリアオペラ公演」であった。 主役のオテロ役は、ビデオではプラシド・ドミンゴの名唱が記憶に新しいが、幾度か接した実演ではやはり最初のマリオデル・モナコが最も強く印象に残っている。 「オテロ」は、新国立劇場としては2度目の公演であり、新製作でもあるので期待して出かけたが、歌手、演出とも大変素晴らしく、総合的には大阪フェスティバル・ホール で観た前述の「イタリアオペラ」公演を超えるものであった。 まず、映画監督としても実績のあるマリオ・マルトーネの演出が面白かった。幕が上がると、巨大なキプロス島の街並みが現れた。奥舞台まで続く3棟の建物を右側に、 中央部の実際に水を張った入組んだ運河を配した舞台は、筆者も訪れたことのあるヴェネチアを彷彿とさせた。背後のスクリーンの活用もあり、大変見事な舞台設定であった。 この舞台の骨格は、4幕を通して不変であった。運河沿いに建つ塔の内側がベッドルームとなっていたことなど不自然な点もあったが、ドラマの進行上はむしろ 好都合であった。また、照明の活用による舞台の変化もなかなか効果的であった。なお、今公演の時代設定は、演出家の意向によって台本の15世紀末ではなく、 オペラの作曲された年代(19世紀後半)にあわせた小道具や衣装になっていたようであるが、予備知識不足でこの点は、よくわからなかった。 一方、歌手陣は、豊かな美声の名歌手をそろえ、理想に近いものであった。オテロを歌った米国出身のヘルデン・テノール; 、ステファン・グールドは、豊かな美声 とともに押し出しも立派で、圧巻であった。デズデモーナ役のグルジア出身のタマール・イヴェーリ(S)は、初めて聴いたが、 艶やかで豊かな美声と抜群の歌唱力をもち、大変素晴らしかった。若くて容姿も良いので、ネトレプコ級の大歌手になることが期待される。 イアーゴは、やはり2007年新国公演「西部の娘」で好演したルチオ・ガッロ(Br)が歌ったが、 素晴らしい声はもとより演技も巧みでなかなかの好演であった。日本人歌手では、脇役ではあったが、ロドヴィーコ役の妻屋秀和(Bs)、エミーリア役の森山京子(Ms)等も 存在感を示した。また、大編成の管弦楽(リッカルド・フリッツアー指揮下の東フィル)及び合唱(新国立劇場合唱団/NHK東京児童合唱団)の響きも良かった。(2009.9.30 記)

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2009.10.10:「声」、「マノンの肖像」

「声」
プーランクのオペラ「(人間の)声」は、短編(約40分)ながら良くまとまったモノオペラとしてわが国でも上演されることが多く、筆者も高橋薫子 などで2〜3回聴いたことがあるが、歌手の持ち味(声、演技力)がよく現れて面白い。舞台装置・小道具として必要なのは、ベッドと電話機だけなので、 通常あまり特異な演出は出来ないが、今公演の舞台には、抽象化したベッドと電話機のほか、背面に巨大な額縁が斜に吊り下げられていた。主人公の女を 歌った松本美和子(S)は、45年前に「日伊声楽コンコルソ」で受賞しているということは、かなり高齢のはずであるが、美声は健在であり、好演であった。 加藤 直の演出は、正統的なものであったが、ベッドから離れての動きが目立った。しかし、舞台に近い2階席であったことにもよるが、 舞台横に陣取ったプロンプターの声がどうしても耳に入り、やや興ざめであった。

「マノンの肖像」
マスネのオペラ「マノン」は、 フランス・オペラの代表作の一つであり、新国立劇場でも8年前に上演されているが、彼自身がこのオペラの続編的な一幕ものオペラ「マノンの肖像」を作曲 していたことは、今回始めて知った。Wikipedia(英)の解説によると、 このオペラの評価は低く、1894年の初演後何回か上演された後、オペラハウスのレパートリーからはずれ、80年間以上ものブランクもあったとの事である。 しかし、今回初めて接したこのオペラもやはり40分程度の短編であるが、その音楽は、 「マノン」からの流用があることにもよるが、なかなか美しく、4人の出演歌手も皆素晴らしかったので、原語による日本初演というこの公演を楽しむことができた。 デ・グリュー役の三塚至(Br)は、豊かな声の魅力を披露し、ティベルジュ役のジョルジュ・ゴーティエ(T)は母国語でもあったが見事な歌唱力で存在感を示し、 オロール役の吉原圭子(S)は、天与の美声を響かせた。モルセール子爵ジャン役の中村裕美(Ms)もビブラートに少々クセがあったが、 立派にズボン役を歌い、演じた。 一方、舞台装置は「声」の骨格を流用したシンプルなものであり、衣装も、白黒を基調とした質素なものであった。なお、字幕は、吊り下がった巨大な額縁の奥の スクリーンに映されたが、コントラスが低く大変見難かった。このオペラは、台詞(仏語)が多く、ストリーを追うため、字幕にたよる度合いが高かったので、 いっそうこの感を強くもった。因みに、前日東京文化会館で観た「蝶々夫人」の場合には、正面奥の4階席であったにもかかわらず、字幕はよく見えた。 舞台の向かって右側に配置された管弦楽は、佐藤正浩指揮下の東京室内歌劇場管弦楽団。(2009.10.12 記)

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2009.10.31":「魔笛」

ハンペ演出の「魔笛」は、これまでに内外で3回も見ていたこともあったので、今公演では、 松位 浩のザラストロ及び安井陽子の夜の女王に期待して出かけた。松位 浩は2007年3月の 新国立劇場での「さまよえるオランダ人」のダーラント役の好演が強く印象に残っている。また、安井陽子は2年前の「日本音楽コンクール」の2次予選では 個人的には最高点をつけて上位入賞を期待したにもかかわらず本選に残れなかったのを残念に思っていたが、その後実力を発揮し、オーディションで勝ち取った 昨秋の「ナクソス島のアリアドネ」のツェルビネッタ役の好演で注目を浴び、今年のNHK「ニューイヤー・オペラコンサート」出場者にも選ばれる一流歌手になった。
今公演の出演歌手は、新国立劇場初登場の外国人歌手3人と実力派の日本人歌手であったが、理想に近い高水準のキャストであった。 ザラストロを歌った松位 浩(Bs)は、さすがドイツに定着して欧州で活躍しているだけに、艶のある豊かで深い声を持ち、圧巻であった。タミーノ役の ステファン・フェラーリ(T、イタリア)は、多少力みすぎの場面もあったが、やわらかい美声を持ち まずまずの好演であった。パミーナ役の カミラ・ティリング(S、スウェーデン)は、伸びのある美声と優れた歌唱力をもちなかなかの好演であった。夜の女王役の安井陽子(S)は、期待通り素晴ら しい声と歌唱力を披露して大きな喝采を浴びた。パパゲーノ役のマルクス・ブッター(Br、オーストリア)も、 豊かな美声をもっており、母国語(独語)での役柄でもあったので歌も演技ものびのびとして、好演であった。脇役陣では、豊かな美声を響かせた弁者役の萩原 潤(Br)、声のバランスも良かった3人の侍女(安藤赴美子、池田香織、清水華澄)、コミカルな歌と演技で楽しませてくれたパパゲーナ役の鵜木絵里(S)など皆良かった。
ミヒャエル・ハンペの演出は、新演出ではないが正統的なもので、第1幕の夜の女王は正面奥の空中に現れ、3人の童子もゴンドラに乗って天空から降りてくるところや、 第2幕の神殿の2段の構造等はやはり見ごたえのあった。強いて注文を付けれは、第1幕の大蛇や怪獣は、もう少し愛嬌のあるものにしてほしかった。管弦楽は、 ウィーン出身でやはり新国初登場のアルフレート・エシュヴェ指揮下の東京交響楽団。(2009.11.1 記)


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2009.11.18:「ヴォツェック」

20世紀前半のウィーンの音楽界をリードした アルバン・ベルクは、「ヴォツェック」「ルル」の2曲のオペラを作曲しているが、 わが国では何故か「ルル」の方が上演回数が多いようである。筆者も「ルル」は、新国立劇場での上演を含め3回も見ているのに対して、 「ヴォツェック」には今回初めて実演に接することが出来た。このオペラの上演を強く推進し、当初指揮者としても予定されていた故・若杉弘芸術監督に感謝したい。 バイエルン州立歌劇場と新国立劇場の共同制作によるアンドレアス・クリーゲンブルクの演出は、ビデオなどで見た他の演出とは異なった斬新なものであった。 舞台全面に薄く水が張られ、出演者のほぼ全員が長靴を履いて歌うという演出には驚かされた。「自然の音である水の音と至高の芸術である音楽の対比」が大切なモチーフ と言う演出者クリーゲンブルクの解説には、必ずしも同感は出来ないが、前後上下に移動させた箱状の奥舞台との組み合わせが効果的であり、暗いストーリーとマッチして なかなか面白かった。公演初日とはいえ、演出に対するものと思われるかなり激しいブーイングがあったのはむしろ意外であった。また、ヴォツェック、マリーと息子以外 の登場人物のすべて、特に医者とマルグレーテは、まさにモンスターのような奇抜なメーキャップであった。
一方、裏声や独特の歌い語り(シュプレヒゲザング)を駆使する難役を見事にこなした題名役のトーマス・ヨハネス・マイヤー(Br)をはじめ、鼓手長役のエンドリック・ ヴォトリッヒ(T)、大尉役のフォルー・フォーゲル(T)、医者役の妻屋秀和(Bs)、マリー役のウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイン(Ms)というドイツを中心に活躍中の 実力派歌手を集め、脇役にも山下牧子(Ms)ほかの実力者を配し、まさに理想的なキャスティングであった。 管弦楽(ハルトムート・ヘンヒェン指揮下の東京フィルハーモニー交響楽団)は、チェレスタ、アコーディオン、ピアノ等を含む予想外に大編成のものであった。。 なお、このオペラは、Youtubeでも 多くの場面が紹介されている。(2009.11.19 記)


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「トスカ」:12月2〜13日

  2009.12.6:「輝きの果て」

国立(くにたち)オペラ・カンパニー 青いサカナ団の創立20周年記念として、原作/脚本/作曲/指揮/演出すべてが 神田慶一による新作オペラ「輝きの果て」が小劇場で上演(貸し劇場公演)された。神田慶一の12作の創作オペラのうち、今回の作品を入れて 4作しか見ていないが、それらの特長は、ユニークな物語展開にある。一幕ものの短いこのオペラでも架空の職業である「ウタヨミ」が現れ、 核爆弾によるテロが起こったりする。また、酒場に乱入するテロリスト一味と主人公のやりとりは、作者の意図通り確かに西部劇的に面白かった。 日本語オペラなので安心してプログラムの解説を読まずに見たこともあり、物語のテーマは、“反戦”かと思っていたが、後で見た 原作者の解説によると、本当に伝えたかったのは、「・・・そのような状況下でもたくましく生き続けるる無名の群衆の姿であり、 またその群集にウタを届けたいと願う芸術家の姿である」とのことであるが、鈍感な筆者にはそこまでは読み取れなかった。 このオペラの音楽は、多用された打楽器でメリハリは付けられていたが、繰り返し聴きたくなるかどうかは別にして、総じて耳当りのよい穏やかなものであった。
歌手では、伝説のウタヨミ:ル・グリを歌った田代誠(T)、テロリストのリーダー:ベベを歌った所谷直生(T)が、 適役でまずまずの好演であった。酒場の女主人:アニュエルを歌った飯田みち代(S)は、数年前の日生劇場での「ルル」の技巧的な名唱が耳に 残っているが、今回の役では、多少声量不足を感じる場面もあったが、自然な発声の歌唱の巧さが目立った。 演出は、束ねた椅子を吊り上げたりして工夫は見られたが、予算的な制約もあったこととは思うが、残念ながら余り視覚的に見ごたえのあるものではなかった。(2009.12.9 記)


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2010.1.13:「月を盗んだ話」

2002年に新国立劇場の小劇場シリーズで、 カール・オルフの「賢い女」が取上げられたが、今回のオルフの 「月(を盗んだ話)」は、今年度の新国立劇場 地域招聘公演として札幌室内歌劇場により小劇場で上演された。同歌劇場は、文字通り札幌に本拠地を置く団体で あるが、2001年の東京公演で観た岩河智子(偏作)の「唱歌の学校」は、個人的には2003年に東京 芸術劇場で観た(主催:ビューネ舞台芸術、後援:秩父市、文化庁等)サリバンの「ミカド」とともに最も 「笑った」オペラの双璧である。「唱歌の学校」は、大変気に入り会場でCDまで購入してしまった。 オルフの「月」は、グリム童話に題材を求め、オルフ自身が手を加えて台本を書いているが、今公演は札幌室内 歌劇場芸術監督の岩河智子が訳詩及び編曲に当って大きく手を加えている。歌詞の和訳に当っては、オペレッタのように 現代風のギャグを盛り込んだのはむしろ面白かったが、原曲では男性が歌う 「語り手」と「4人の村人」を全て女性歌手に変えるとともに、原曲の 大編成の管弦楽を奏者5人だけの室内楽に編曲しているため、原曲とはかなり異なった響きになっている はずであるが、原曲を聴いたことがないので残念ながら比較はできない。しかし、 キーボードを活躍させて大変上手に編曲されているため、 オスティナート技法を駆使したオルフ独特のリズミカルな音楽の楽しさは、十分に伝わってきた。また、日本語の 台詞が聞き取りやすいという利点もあった。歌手陣は、則武正人(Br)以外は余り記憶にはなかったが、大半が「唱歌の学校」 の出演者と同じのようであった。 ペトルスを歌った則武は、些細な問題点は別にして、豊かな美声と高い歌唱力は健在で、存在感十分の好演であった。 語り手を歌った萩原のり子(S)も「唱歌の学校」の場合同様好演であった。 一方、「唱歌の学校」や「中山晋平物語」で腕を振るった中津邦仁の演出は、村人がスポーツ応援のウェーブ や相撲の真似を取り入れたりして笑いを誘った。舞台装置は背面に工事現場の足場のような鉄骨を組み、その前に 枯れ木の森を設けたものであったが、やはり木に葉が全くないのは、視覚的に楽しくはなかった。100円ショップ等で売っている 葉でも枝先につければなどと考えてしまった。しかし、重要な小道具である球形の「月」は、大変よく出来ており、 西瓜を切ったようにきれいに4分割/再結合もでき、照明操作と相俟って、大変効果的であった。た。(2010.1.14 記)


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2010.1.16:「マダム サン・ジェーヌ」

「東京オペラ・プロデュース」の主催(協力:「新国立劇場運営財団」)により ヴェリズモ・オペラの系統をひくイタリア・ロマン派作曲家であるウンベルト・ジョルダーノのオペラ「マダム サン・ジェーヌ」 の日本初演(原語)が中劇場で行われた。 ジョルダーノのオペラでは、何年か前に「アンドレア・シェニエ」と「フェドーラ」を観たことはあるだけで、このオペラ を含め他の作品については全く知らなかったため、かえって強い期待と関心を持って出かけた。このオペラには、アンドレア・シェニエのように 単独でも歌われるような有名なアリアはないが、声の聞か せどころも多く、管弦楽の響きが素晴らしいなかなかの名曲だと思った。また、歌手及び演出にも恵まれ、 大いに楽しむことが出来た。 彌勒忠史の演出は、 昨秋(東京文化会館小ホール)に観た「バスティアンとバスティエンヌ」の場合同様コミカルな面を強調したものであったが、舞台装置も なかなかよく出来ていて、ドラマとしても楽しめた。特に、第一幕の洗濯屋の場面は、明るいパリの下町の情景が、また、 第二幕では宮殿の雰囲気が良く出ていた。 一方、歌手陣では、主役の大隅智佳子(S)が特段に素晴らしく、聴衆からも大喝采を受けた。芸大の主席卒業あるいは安宅賞受賞という 大きな勲章を持つ歌手の中にも、歌は巧いがが声は今一という人も間々見かけるが、このオペラで「マダム サン・ジェーヌ(肝っ玉マダム)」 というニックネームを持つ洗濯屋のカテリーナを歌った大隅は、まさに芸大主席卒業に値する声と歌唱力を兼ね備えた逸材 である。この公演でも持前の豊麗な美声を駆使して好演であった。カテリーナのフィアンセのルフェーブルを歌った内山信吾(T)も いかにも軍人らしい強さが十分に表現され、好演であった。かなり高齢の工藤 博(Br)も存在感を示した。脇役陣では、 ナイベルク役の西塚 巧(T)強靭な美声も印象に残った。(2010.1.18 記)


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2010.2.11:「ジークフリート」

昨シーズンに引き続き、今シーズンはいわゆる「トウキョウリング」の残り2作が再演されることになった。奇抜な設定で違和感も あったが、劇場機能を活用したダイナミックなキース・ウォーナー演出は、やはり捨てがたい魅力を持っている。
今回の 「ジークフリート(楽劇:ニーベルングの指輪・第2夜)」の出演歌手は、ジークフリート及びさすらい人以外は、 2003年の前回公演から入れ替わっている。前回の公演では、ブリュンヒルデにやや不満が残ったが、今公演では、 全ての歌手が素晴らしく、理想に近い布陣であった。 再演のジークフリート役のクリスティアン・フランツ(T)及びさすらい人役のユッカ・ラジライネン(BsBr)は、前回同様強靭な美声を駆使して、好演であった。 ミーメ役のヴォルフガング・シュミット(T)、アルベリヒ役のユルゲン・リン(Br)、ファフナー役の妻屋秀和(Bs)も適役で見事な歌唱であった。 女声陣は、前回より明らかに良かった。特に昨シーズン冒頭の「トゥーランドット」で好演した イレーネ・テオリン(S)の張りのある豊かな美声は、迫力十分であった。森の小鳥役の安井陽子(S)は、ペンギンもどきのメタボの着ぐるみ姿で少々気の毒であったが、歌はよかった。
ウォーナーの演出は、メルヘンチックでカラフルな第2幕、奥舞台のタイムリーな出し入れ等オペラパレスの舞台機構をフルに活用した第3幕は素晴らしかったが、 台所でジューサーなどの家電製品を使って霊剣ノートゥングを鍛える場面は、以前にも書いたが、いかにも軽過ぎる。2005年8月の子供向けの 「ジークフリートの冒険(指輪をとりもどせ)」でのマティアス・フォン・シュテークマン演出の方がはるかに面白かった。 ダン・エッティンガー指揮下の東フィルも熱演であった。(2010.2.12 記)


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2010.3.13:「ファルスタッフ」

恒例の新国立劇場オペラ研修所公演として今年は、 「ファルスタッフ」が中劇場で上演された。この研修所公演では、当然のことながら研修生の 研修成果に期待と関心をもって出かけたが、今公演では演出の面白さが抜群で、興味の中心がそちらに移ってしまった。 低料金の研修所公演なので、装置に余りお金をかけているとは思われないが、演出家のセンスの良さで十分に楽しませてもらった。 新国立劇場演劇研修所第4期生も特別出演し、にぎやかな舞台となった。まず、第1幕の平面的ながらメルヘンチックでカラフルな背景を観た瞬間、 その雰囲気から丁度3年前の研修所公演の 「アルバート・ヘリング」を思い出したが、やはり演出は、同じデヴィッド・エドワーズであった。 登場人物もカラフルな衣装をまとい、所作もコミカルなもので、喜劇性を強調したものであった。また、背面一杯のスクリーンを 巧みに使い、十分に眼を楽しませてくれた。第2幕でファルスタッフがテムズ川に放り込まれるシーンでは、水色の巻き布 を拡げながら人が舞台を横切る演出で笑いを誘った。しかし、第3幕でファルスタッフが、テムズ川から這い上がるシーンでは、川の中に 前幕の小道具を使いまわして転がしていたのは、視覚的にも美しいとはいえなかった。
出演歌手は研修生である第10〜12期生が中心となっているが、他賛助出演として第4期生の増田やよい(ページ夫人メグ) 及び第6期生の町英和(ファルスタッフ)が出演した。主役としての町英和(Br)は、初めてであったが、なかなかの好演で先輩としての存在感十分であった。 研修生ではフォードを歌った駒田敏章(11期生、Br)が声、歌唱力とも光っていた。今後の活躍を期待したい。フォード夫人アリーチェを歌った中村真紀(10期生、S) も豊かな声を持ち、熱演であった。
管弦楽は、アリ・ペルト指揮下の東京シティー・フィルハーモニック管弦楽団。(2010.2.15 記)


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2010.3.21:「神々の黄昏」

前回公演(2001〜2004)で大きな話題となった「トウキョウリング」の再演も、今回の 「神々の黄昏」でやっと終わった。映画館で始まり、映画館で終わるこの「リング」では、岩山の山頂を病院とし、 ワルキューレの娘たちを看護士に設定したが、この奇抜な演出には、かなりの無理があり、違和感を覚える場面も多かったが、 新国立劇場の優れた舞台機構をフルに活用した舞台転換は、迫力十分で、視覚的には十分に楽しむことが出来た。 多分この演出での再演はもうないものと思われるが、「カルメン」など2-3の例のようにNHKがハイビジョン放映をしてくれれば、 録画して保存することが出来るのでありがたい。 歌手陣は、今公演も適材適所の布陣で理想に近いものであった。特に中核となる ジークフリート役のクリステイアン・フランツ(T)及びブリュンヒルデ役の イレーネ・テオリン(S)は、先月の「ジークフリート」の場合同様、強靭な美声を駆使し、好演であった。 グンター役のアレクサンダー・マルコ=ブルメスター(Br)は、 声量豊かな美声が際立っていた。ハーゲン役のダニエル・スメギ(Bs)は、 独特の声質をもっているが存在感十分の好演であった。以上の2人及びヴァルトラウテ役の カティア・リッティング(Ms)は、新国初登場であった。日本人歌手では、グートルーネ役の横山恵子(S)及びアルベリヒ役の島村武男(Br)が活躍した。 横山は、二期会の「ワルキューレ」のブルンヒルデ等で声の素晴らしさは十分に知っていたが、容姿的にもプロポーションが良く適役であった。 3人のノルンは、そろって黒縁のメガネをかけ、奇妙なカツラをつけた老婆姿で気の毒であったが、歌は前回好演より良かった。特に第一のノルンの竹本節子(Ms)は声、 歌唱力とも光っていた。第二のノルンの清水華澄(Ms)もこれに準じる好演であったが、第三のノルンの緑川まり(S)は、熱演ながら声の透明感が今一であった。 ダン・エッティンガー指揮下の東フィルの演奏は、総体的には大変素晴らしい響きであったが、カーテンコールで最後に現れた 指揮者に盛大なブーイングが浴びせられたのは意外であった。(2010.3.22 記)


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2010.4.18:「愛の妙薬」

「愛の妙薬」は、 2002年の潟宴買Hーチェ主催の貸し劇場公演(中劇場)を別にすると、新国立劇場の主催としては初めての上演である。 前公演やビデオなどからの先入観で、なんとなく牧歌的な風景下での物語進行を想像していたが、今公演のチェーザレ・リエヴィの演出では、 田園風景は全く無いかなり抽象的な舞台であったが、ファンタジーに溢れた素晴らしいものであった。 リエヴィは、第一幕の冒頭でアディーナが「トリスタンとイゾルデ」の物語を読むシーンにヒントを得て、演出のキーワードを 「本」としたとのことであり、舞台上には「トリスタンとイゾルデ」の巨大な本が現れ、あるときには背景となり、他の場面では  舞台横に背表紙を見せて柱か壁のように置かれた。小道具としても、妙薬(L'elisir)の文字(アルファベット)をバラバラにした ものとともに数冊の本を束ねた台状ものが巧みに場所・形を変えて使われたが、村人達を含めた出場者のカラフルな衣装と相俟って、十分に眼を楽しませてくれた。 巡回薬売りのドゥルカマーラが意表をついてグラマラスな2人のキャンペーンガールを伴って自家用機で登場したのも面白かった。 歌手では、際立って豊かで甘い声を持ったネモリーノ役のジョセフ・カレヤ(T)が 特に巣晴らしかった。一方、アディーナを歌ったタチアーナ・リスニックは、 スカラ座等での活躍実績もあるとのことであったが、抜群の容姿や歌唱力はともかく、声の透明感が乏しく、少々失望した。 ドゥルカマーラを歌ったブルーノ・デ・シモーネ(BsBr)は、昨年の「チェネレントラ」 の場合同様立派な声を聞かせてくれた。また、日本人歌手として唯一人主要な役である色男ベルコーレ軍曹役を歌ったイケメンの与那城 敬(Br)は、 適役であり、好演であった。また、ジャンネッタ役の九嶋香奈枝は、少ない出番ながら美声を響かせた。 管弦楽は、パオロ・オルミ指揮下の東フィル。(2010.4.18 記)


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2010.5.20:「影のない女」

「影のない女」という題名は、個人的には大学教養部の第2外国語(ドイツ語) のテキストに使われ苦労させられた記憶のあるシャミッソーの小説「影のない男」を想起させるが、このオペラは 実際には「エレクトラ」、「ナクソス島のアリアドネ」、「ばらの騎士」と続いたホーフマンスタールとR.シュトラウスとの協同作業による台本によるものである。 このオペラは、20世紀の「魔笛」を目指した作品と言われているようであるが、ワグナーの「リング」や「パルジファル」なども強く意識して 作曲したようにも思われる。しかし傑作といわれている割に上演の機会が少ないのは、物語の難解さやその長さ(3.5時間弱)にあるようだ。筆者もこれまでにR.シュトラウスのオペラは 実演で10作を観たが、このオペラは何年か前にビデオで見ただけであったこともあり、筋書きが良くわからず、休憩時間にあらすじを 繰り返し読まざるを得なかった。また、プログラムの解説で「影が、子供を生む能力の象徴として扱われる」ことを知って、かなり理解が深まった。なお、断片的にはこのオペラの 多くの場面をYOUTUBEで見ることが出来る。
今公演のドニ・クリエフの演出では、木造の家の側面を模したパネルと石垣風の背高のパネルを多数用意し、これらを黒子の手で自由自在に動かし家並みや壁面が舞台上に創られた。 小道具はなくシンプルではあるが、形状が変化に冨み、なかなか面白かった。 管弦楽は、大編成(120名前後)であるが、要所以外は音を抑えた流麗な音楽で、R.シュトラウスの作曲技術のうまさを再認識した。 エーリッヒ・ヴェヒター指揮下の東京交響楽団の響きも素晴らしかった。 一方、歌手陣は、脇役に至るまで理想に近い布陣であった。皇后役の エミリー・マギー(S)は、以前に新国立劇場で聴いた「フィガロの結婚」の伯爵夫人、「イドメネオ」のエレットラの場合同様、豊麗な美声と完璧な歌唱力 を駆使して大変素晴らしかった。乳母役のジーン・ヘンシェル(Ms)は、当り役だけに演技的にも 存在感十分であった。バラクの妻を歌ったステファニー・フリーデ(S)も新国立劇場3度目の登場であったが、 やはり豊麗な声を生かして熱演・好演であった。男声では、皇帝役のミヒャエル・バーバ(T)、バラク役の ラルフ・ルーカス(BsBr)も適役で良かった。さらに、霊界の使者を歌った平野 和(Bs)は、初めて聴いたが、素晴らしい美声の持ち主で欧州で活躍中という のも頷ける。(2010.5.22 記)


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なお、当日「新国立劇場の入口付近で配られていた合唱団員の不当契約打切りに抗議する日本音楽家ユニオンのビラを受取った。新国立劇場のオケ、合唱団が本来の意味での 専属でないことは知っていたが、労働者としての権利も保障されない不安定な身分であることに驚かされた。諸外国の主要オペラハウスの ようにオケ団員、歌手、合唱団員等を専属雇用する形態が理想的であるが、とりあえず立場の最も弱い合唱団員の正式な専属化が望まれる。オペラは、もはや 西洋音楽の一つというよりは、むしろ先進国の文化水準のバロメーターでもある。オペラファンの1人として関係者の善処を期待したい。

2010.6.15:「カルメン」

今公演と同じ鵜山 仁演出による2007年12月公演の「カルメン」は、なかなかの名演出、名演奏であり、筆者もNHKで放映された ものをBDに録画して持っている。舞台装置は、前回同様、工事中の建物を含む骨格が全幕各場(セビリアの広場、酒場、密輸團の野営地、闘牛場前の広場)で うまく利用したものであったが、歌手の動きには若干の変更が見られた。第一幕のカルメンの動きがぐっとセクシーになったのはむしろ良かったが、第四幕で ホセがカルメンを殺す場面は前回の方がいっそう迫力があった。また、大勢出演する群衆や子供達(NHK東京児童合唱団)の動きは、前回同様活気があり、 大変よかった。
一方、歌手陣は今回も脇役に至るまで充実しており、素晴らしかった。 カルメンを歌った米国生まれで新国初登場のキルステン・シャベス(Ms)は、超のつく美声 や美貌の持ち主ではないが、豊満な肢体を持ち、動きも野性的でこれこそカルメンといった感があり、なかなか魅力的であった。ドン・ホセ役のドイツ生まれで やはり新国初登場のトルステン・ケール(T)は、ヘルデンテノールとして欧米で活躍中とのことであるが、 豊かな超美声の持ち主で抑制の効いた見事な歌唱であった。エスカミリオを歌ったこれもドイツ生まれのジョン・ヴェーグナー(Br)は、2年前の「サロメ」 ヨハナーン役の際ほどの強い印象はなかったが、今回もなかなの好演であった。ミカエラを歌った浜田理恵(S)は、新国でも「トゥーランドット」のリュウ、 「ペレアスとメリザンド」のメリザンドでも好演であったが、今公演でもミカエラ役には豊か過ぎるほどの美声を駆使して見事な歌唱(特に弱声)であった。 平井、山下以外は入れ替わった脇役陣も青山貴(モラレス)、谷友博(Br)及び山下牧子(メルセデス)等実力者ぞろいで、充実していた。(2010.6.16 記)


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2010.6.25:「鹿鳴館」

今シーズン最後のオペラとして新国立劇場創作委嘱作品である 池辺晋一郎作曲の「鹿鳴館」が中劇場で上演(世界初演)された。 原作者の三島由紀夫の作家としての能力は別として、その極右的な言動が気に入らず、「金閣寺」以外の彼の作品は読んだことがなかった。したがって、 この「鹿鳴館」の筋書きも全く知らなかったが、ドラマとしての意外性に富んだ面白さは、さすがであった。 作曲者の池辺晋一郎は、かってNHKのTV番組「N響アワー」の解説者としてウィットに富んだ(ダジャレの多い?)解説で視聴者を楽しませてくれたが、 作曲家としては、交響曲、合唱曲、ドラマの伴奏曲など多彩な作曲活動をしている。オペラの分野でも、この「鹿鳴館」が9曲目(作曲者の言う広義のオペラとしては22曲目) とのことである。筆者は10年ほど前に「耳なし芳一」、今年の4月に落語の「死神」に題材を採った「魅惑の美女はデスゴッデス!(旧題:死神)」を観ただけであるが、 新国の前芸術監督であった故若杉弘氏に10年以上前に強く勧められて作曲を始めたというこのオペラは、「オペラは音楽とともに進行する演劇」 との作曲者のポリシーが貫かれており、長い台詞への音付けもごく自然で違和感がなかった。なかなかの力作であり、彼の代表作として今後何度か再演されるものと思われる。 当然ながら、 歌手は、オール日本人のダブルキャストであったが、「お気に入り」歌手が多く出演しているBキャスト の日を選んで出かけた。主役、脇役の全てが適材適所であり、理想的に近いキャスティングであった。特に景山伯爵夫妻役の与那城 敬(Br)及び腰越満美(S)は、 声、容姿とも役にぴったりでなかなかの好演であった。清原永之輔役の宮本益光(Br)、その息子久雄役の 小原啓楼(T)、大徳寺侯爵夫人役の坂本 朱(Ms)、 その娘顕子役の安井陽子(S)も美声を活かしてやはり好演であった。 しかし、ドラマ性の強いオペラだけに、台詞の聞落としを補完するものとして字幕(舞台上部)を併用したことは正解であるが、意識的に輝度を下げていたようで S席からでも大変見難かった。 一方、鵜山 仁の演出は、陰惨な明治中期の政治の裏世界を描くためには必然性があったのかもしれないが、舞台の背景は黒幕主体、衣装も地味で、統一感はあるものの、 視覚的には余り楽しいものではなかった。特に第二幕の鹿鳴館の場面では、反射板を用いたり工夫のあとは見られたが、もう少し華麗な舞台を期待していただけに シャンデリア一個だけの大舞踏場と泥臭いダンスには、物足りなさを感じた。管弦楽は、沼尻竜典指揮下の東京交響楽団。(2010.6.27 記)


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