2002.9.3:「声」、「哀れな水夫」
<ジャン・コクトーオペラ二題>という副題の付いたこの室内オペラ公演は、小劇場での「貸劇場公演(主催:東京室内歌劇場)」 として行われた。共に初めて観るオペラであり強い関心をもって出かけたが、「声」はともかく、「哀れな水夫」は、 原作を読んでいないので比較は出来ないが、台本に無理があるように思われ、あまり楽しむことは出来なかった。まず、 モノオペラと呼ばれるプーランク(1899〜1963、写真左)の「(人間の)声」は、昔どこかで見た記憶のあるメノッティの 「電話」同様ソプラノが電話を握って40分強独演するもので、伴奏もピアノだけの最も単純なオペラである。今回主役の「女」は、 日替わりで3人(2人は原語、1人は日本語)が歌ったが、この日は、高橋薫子が原語(フランス語)で歌った。高橋は、 上から下まで声が均質で大変美しい。今回もこの特質が充分に感じられ、好演であった。また小劇場なので、 後方の席でさえ間近に彼女の声が聞け、可憐な姿を見ることができたのありがたかった。舞台は、ほぼ予想通り、 ベッドと電話機だけのシンプルなものであったが、このオペラには、必要かつ充分であった。演出的には、「女」の心情が良く表れた 室内での立居振舞であったが、最後にベッドの上で電話のコードを首に巻いて死ぬ場面は、もう一工夫欲しかった。
一方、ミヨー(1892〜1974、右の記念切手)の「哀れな水夫」も数十分の全一幕物であり、歌手は4人だけ、オーケストラも各パート 1名の小規模なものである。あらすじにあるように15年も夫を待ち続けた貞淑な妻が、 帰ってきた夫を識別できず、高価な真珠ほしさに寝込みを襲い、殺してしまうというストーリーに飛躍があり過ぎ、 素直には受け容れがたい。原作も実話に基づいているとのことであり、最近の日本でももっと恐ろしい夫殺しが報道されているが、 もう少し心理描写があってしかるべきだと思われた。このため実力派の歌手陣(水夫:経種廉彦、その妻:岩井理花、 その父親:堀野浩史、水夫の友人:多田康芳)の力演にもかかわらず、残念ながら余り共感するところがなかった。演出は、 階段の踊り場でのミラー利用(?)等に工夫のあとも見られたが、小劇場公演の常として壁面が真っ黒のカーテンで全体が暗く、 視覚的には楽しむことができなかった。(2002.9.4)
2002.9.12:「椿姫」
1997年に開場した新国立劇場も、はや6年目に入ったが、ヴェルディの名曲中の名曲である「椿姫」が、2002−2003年度
シ−ズンに入ってやっと上演された。「椿姫」は、映画的に撮ったものも含めて一流歌手による多くのビデオも市販されているので、
今公演がどのような演出になるのか、また、今公演の歌手レベルはどの程度かに大きな関心が持たれた。この日の公演では、
主要歌手が3人とも新国立劇場初出演の欧米人であったが、さすがに欧米の一流オペラハウスで活躍中の歌手だけに、いずれも立派な
歌唱を披露してくれた。脇役にも日本人の実力歌手(池田直樹、中鉢聡、永田直美、家田紀子等)を配しただけに全体として
大変素晴らしい公演となった。まず、ヴィオレッタを歌ったハンガリー生まれのアンドレア・ロストは、艶のある瑞々しい美声の持ち主で、
容姿も良く、理想に近いヴィオレッタであった。これまでに市販のビデオで見た範囲では、やはりグルベローヴァが一番だと思うが、
ロストはCDやDVDでドミンゴと競演しているコトルバス、ストラータスに勝るとも劣らないクラスだと思われる。
アルフレッドを歌った長身のマッシモ・ジョルダーノは、高音の響きも良く好演であったが、総体的にはドミンゴはもとより、
シコフ等の一流テナーには今一歩と感じた。ジェルモンを歌ったのは、英国人のアントニー・マイケルズ=ムーアであったが、
いかにも父親らしく渋い美声の持ち主で、ゆったりしたテンポで歌い上げた「プロヴァンスの海と陸」もよかった。
演出は、これも初来日のルーカ・ロンコーニを担当した。イタリアの鬼才といわれているようだが、今回の舞台は、
「連続性を持たせるため」か大道具の横移動を多用し、スムーズな舞台転換を図ったが、全般的にはむしろオーソドックスなものであった。
一方、全場面を通して、舞台上部の1/3強が斜に垂らした幕で隠されており、独特の雰囲気を出してはいたが、やや目障りにも感じた。
幕をもう少し上にとどめた方がよかったように思われる。
なお、今年は、ヴェルディ没後100年の翌年に当たることもあり、二期会、藤原歌劇団でも「椿姫」公演があり、当たり年である。
神田将のエレクトーン伴奏を中心としたグリーンホール相模大野大ホールにおける
第一回オアシスオペラ公演としての「椿姫」(本年12月17日)
も注目に値する。(2002.9.13)
2002.9.13:「なりゆき泥棒」
今シーズン最初の「小劇場オペラ」である。このロッシーニ(1792〜1868)の一幕物の軽い喜歌劇(ファルサ)は、過去に国内でも2度ほど上演されているようだが、
これらを見落としていたので、今回が、初めての鑑賞の機会となった。有名な「ブルスキーノ氏」等とともにロッシーニがオペラ作曲家として
歩き始めた20歳の時の作品とのことであるが、ビデオはもとよりCDでも聴いたことのない曲であったので、
大きな期待はせずに出かけたが、2組の男女の機知に富んだ恋の駆け引きがいかにもロッシーニらしい軽妙な音楽で描かれており、また、
演出も斬新で、結構楽しむことが出来た。
(もっとも、たまたま最前列の席で観たため、
頭上の字幕を読むのに苦労してしまった。)
歌手(大野光彦、大川繭、上原正敏、田辺とおる、橋本恵子、羽淵浩樹)は、総じてよかったが、羽淵浩樹の強靭な声、
橋本恵子の歌唱力及び田辺とおるの演技力が特に印象に残った。恵川智美の演出は、意外性があり、大変面白かった。開幕前の舞台には、
中空に吊られた多数の「雲」と数個のドアがあるだけの殺風景なものであったが、開幕直前に「雷神」が手持ちの金属薄板から凄まじい
雷鳴を出し、指揮者が差してきた傘が吹き飛ばされたりするシーンを挿入したり、休憩終了の合図を黒子(?)とホルン奏者等との
掛け合いにしたりして観客を楽しませてくれた。また、局面に応じて吊られた「雲」を急速に上下させ,舞台に変化を与えた。なお、字幕
は、正面一番上の横長の雲に映された。(2002.9.14)
本邦初演の今公演は、「東京オペラ・プロデュース(第66回定期公演)」主催の「貸し劇場公演(中劇場)」である。 シェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を原作とするオペラとしては、ニコライの同名のオペラ、ヴェルディ及びサリエリの 「ファルスタッフ」が良く知られている。ニコライ及びヴェルディのオペラは、これまでに観たことがあったが、 やはり同じ原作に拠ったこのヴォーン・ウイリアムズの「恋するサー・ジョン(Sir John in Love)」は、 聴くのも観るのも今回が始めてであった。このオペラには、有名な「グリーン・スリーヴス」をはじめ幾つかの英国フォーク・ ソングが巧みに取り入れられており、親しみやすく、総体的にみて、ニコライ、ヴェルディのオペラに匹敵する名曲と言えそうだ。 また、台本(英語)は作曲者自身が書いているが、喜劇的効果をあげるために、シェイクスピアが登場人物それぞれの性格描写のために 用いた「言葉遊び」を巧みに引用しているようであるが、残念ながらこれらは部分的にしか聞き取れなかった。 このオペラは、主役級の歌手を大勢必要とするが、大半の歌手は実力者であり、十分に観客を楽しませてくれた。総体的には、 男性歌手が優れており、特に主役のサー・ジョン・フォルスタッフ(英語読み)を歌った近藤均は、朗々と響く美声と堂々とした演技で際立っていた。 この他男性陣では、フォードの太田直樹、ガーター亭の主人の田辺とおる、フェントンの内山信吾などが好演であった。女性陣では、 ページ夫人の高橋幸子が良かった。 一方、舞台は各場面とも背景に大きなスクリーンを置き、場面に応じた映像を映したのは良かったが、第一幕で舞台中央に置かれたり、 吊されたりした大道具類は、大きいだけで美しいとはいえず、むしろ目障りにさえ感じた。また、第三幕及び第四幕の一部ではでは、 舞台を二段にして進行させのは多少目新しかったが、上層階の床が厚過ぎ、あまり効果的とは思えなかった。(2002.9.30)
「貸劇場公演」を除けば、新国立劇場でドニゼッティの作品が上演されるのは、今回が初めてである。なお、今公演は「文化庁芸術祭執行委員会」 との共催であった。いつものごとく公演は、ダブルキャストであったが、もちろんここ2〜3年前から「お気に入り」となった ルキアネッツが歌う日を選んで出かけた。男性陣の出来もなかなかで、「狂乱の場」のみ切り離して聴くことが多い、このドニゼッティの ベルカント・オペラの名曲を堪能することが出来た。タイトルロールのルキアネッツは天与の美声と絶妙のヴォイス・コントロール で難役を見事に歌い演じた。ルチアの兄エンリーコを歌った谷友博も、声量豊かな美声で大役を見事にこなした。ルチアの恋人エドガルト を歌ったミラノ出身のヴァルター・ボリンは、実に柔らかい美声の持ち主で、透明な高音も印象的であった。家庭教師ライモンドの 久保田真澄も渋い美声を響かせ適役であった。アルトゥーロの角田和弘もまずまずの好演であったが、アリーサの河野めぐみは、若干響きが悪かった。 一方、演出は、きわめてオーソドックスで、装置も重厚なものであったが、第二部第一幕第二場の レイヴェンスウッド城の大広間の場面は、鮮やかなステンドグラス風の丸窓や登場人物のカラフルな衣装が見事で、目を楽しませてくれた。 パオロ・オルミ指揮の東フィル、新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部の響きもなかなか良かった。(2002.10.20)
リヒアルト・シュトラウスのオペラは、通常、オーケストラが、
重厚で独特のうねるような響きを持っているが、このオペラは、主要部が劇中劇であるためかオーケストラは小編成のものとなっている。
また、歌手では女性歌手に重点が置き、ズボン役の作曲家にメゾソプラノ、プリマドンナのアリアドネにリリコ・スピントのソプラノ、
喜劇役者のツェルビネッタにコロラトゥーラ・ソプラノというように対照的な声の3人を配している。都合で日本人歌手だけの
Bキャストの日を選んで出掛けたが、個人的な声の好みもあり大満足と言うわけには行かなかった。なお、
今公演では、4人の道化師や3人のニンフなどの脇役にも実力者が起用されており、全体的には水準の高い演奏であった。
作曲家を歌った白土理香は、歌唱力・演技力とも充分であるが、メゾとはいえもう少し声に透明感が欲しかった。
アリアドネを歌った岩永圭子は、声量もあり、低音もきれいに響いたが、今ひとつ迫力不足に感じた。、ツェルビネッタ役の幸田浩子は、
声にもう少し潤いが欲しい気もしたが、
コロラトゥーラのレパートリーの中では、一番難しいといわれる長大なツェルビネッタのアリア「偉大なる王女さま」を見事に歌いきった。
男性では、音楽教師役の黒田博(バリトン)が圧倒的な声と演技で存在感を示した。テノール歌手/バッカス役の成田勝美は、
美声ながら多少力み過ぎの感があった。一方、ハンス=ペター・レーマンの演出は、オーソドックスなものであったが、
せりを巧みに利用した第二幕のバッカスの登場場面は、なかなか見ごたえがあった。
ハノーファー歌劇場等で制作したという装置や衣装は、細部も凝ったもので目を楽しませてくれた。
児玉宏指揮のオーケストラ(東フィル)の響きもよかった。(2002.12.15)
今公演は、東京室内歌劇場、韓国国立オペラ団、独マクデブルク州都劇場の共同制作によるもので、エドガー・アラン・ポーの
短編に現在ドイツで活躍中の天沼裕子が作曲した(1)「裏切る心臓」と、韓国出身でドイツに帰化した尹伊桑(ユン・イサン)
の作曲による14世紀の漢詩を題材にした(2)「リゥ・トゥンの夢」の2本立て上演であった。いずれも日本初演であり、
キャストは公演ごとに日本組、韓国組、ドイツ組が入れ替ったが、この日のマチネー公演は、(1)は日本組、(2)は韓国組であった。
なお、いずれもドイツ語(字幕つき)で歌われた。
「裏切る心臓」の原文(「The Tell-Tale Heart」)
はウェブ上で見ることができるので、プリント(A4で2ページ弱:12KB)して事前に読んでみたが、暗闇での無言の殺人劇であり、
これがオペラ化できるのだろうかというのが率直な感想であった。心臓の鼓動を暗示するティンパニーのソロで始まる天沼の音楽は、
小編成(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ポジティブ・オルガン、ティンパニー:各1名)のアンサンブルを駆使して主人公の不安定な
心理を描写し、巧みにモノドラマ風のオペラに仕上げられている。しかし、主人公の女(原作では、男女の別も定かでない)を歌った
大橋ゆりは、ドイツ語の発声もよく熱演であったが、声がやや軽く迫力充分とは行かなかった。
また、殺人現場の寝室が予想外に明るく違和感があったこともあり、原作の異様な雰囲気が充分には伝わってこなかった。
老人/巡査を歌った竹澤嘉明は、声も姿も適役であった。
一方、「リゥ・トゥンの夢」は、やはり1時間弱の一幕オペラであるが、ドラマとしては二幕か三幕物にできる内容があり、 現実の世界から夢の世界へ、再び現実の世界へと舞台転換が多く、劇的要素も大きく、なかなか見ごたえのあるオペラである。 このオペラは、東洋を代表する作曲家尹伊桑の四つのオペラの第一作とのことであるが、オーケストラも室内オペラとしては、 相当に重厚な編成(今回は、木管・金管をエレクトーンで代用)になっている。 歌手は、始めて聴く人ばかりであったが、皆素晴らしかった。リゥ・トゥンを歌ったユ・サンフン(Br)の美声、トゥン・ファ(神) を歌ったキム・インス(Bs)の重厚な低音も良かったが、リゥ・トゥンの妻他を歌ったパク・ミジャの強靭な美声が特に印象に残った。 装置は、象徴的なもので悪くはなかったが、素早い舞台転換への対応に重点を置いたためか、多少簡素過ぎた感もあった。(2003.1.12)
2003.1.17:「光」
團伊玖磨の「建・TAKERU」、原 嘉壽子の
「罪と罰」に続く新国立劇場にとって3作目となるオペラ創作委嘱作品であり、もちろん今公演が世界初演である。原作は、
芥川賞作家の日野啓三、作曲は現代日本を代表する一柳慧である。今回は、原作も読まず、全く白紙の状態で劇場に出掛けたが、曲、
歌手、演出とも素晴らしく充分に楽しむことができた。曲は、打楽器や金管楽器の衝撃的な音を多用し、
効果的にドラマを盛り上げる一方、歌手にはそれぞれ聞かせどころを与えている。演出的には暗い場面を救い、
心理描写を補完するために男女のバレエ・ダンサーを登場させたのは面白いアイデアであった。
舞台は、宇宙船の内部を思わせる骨組みを中央に設置し、後方のスクリーンには宇宙から見た地球、月面歩行等の映像が写され、また、
題名の如くレーザ・ビームを含む光がコンピュータ制御で効果的に用いられた。 さらに、宇宙船の発射音や通信音、
カラスの鳴き声等の効果音も巧みに取り入れる一方、場面によっては、台詞のみの場面もあり、従来のオペラの概念を越えた作品
となっている。これは、東京文化会館が「舞台芸術創造フェスティバル」において、
ここ数年来模索している新しい舞台芸術形式の極致かとさえ思われた。
歌手陣もまさに適材適所で理想に近いものであった。主人公の宇宙飛行士「ミツダ」を歌った井原秀人(Br)は、
活躍の中心が関西であるためもあり、実演で聞くのは今回が始めてであったが、天与の美声を駆使した熱演であり、
日本の第一線歌手の力を見せてくれた。政府宇宙資源開発局の課長役の久保和範(Br)も知的な役柄を持ち前の朗々とした美声で好演した。
ミツダ担当の看護婦「ホアン」を歌った釜洞祐子もよく通る声で清楚な役を好演した。脇役では、「老女」を歌った菅英三子が、
コロラトゥーラの見事な技巧と透き通った美声を聞かせてくれ、「老人」役の中村健も健在であった。
なお、感動的な公演に接したのを契機に、一柳の第一作のオペラ「モモ」のビデオの見直しとともに、
彼のオーケストラ作品も実演で聴いてみたくなった。また、読売文学賞を受けたと言う原作も読んでみることにした。(2003.1.18)
小劇場オペラ公演の第9弾としてハイドンの「無人島」がとり上げられた。ハイドンといえば、後期のいくつかの交響曲、弦楽四重奏曲、
トランペット協奏曲、チェロ協奏曲等が有名で、専ら器楽曲の作曲家として親しまれてきたが、音楽の友社の「オペラ辞典」によると、
18世紀においてはオペラやオラトリオなど大規模な声楽作品こそが作曲家の代表作であり、
器楽曲などは片手間の仕事の産物であったとのことである。ハイドン自身も履歴書の中で自分の代表作として、
3つのオペラ(「漁師の娘たち」、「突然の出会い」、「裏切られた真実」)やオラトリオ「トピアの帰還」)等
を挙げたこともあったそうだ。この「無人島」は、ブッファからセリアまで12曲あるハイドンのオペラの中では、
最もシリアスなものようであるが、ストーリーは、「無人島に置き去りにされたと勘違いした妻(とその妹)が13年ぶりに、
さらわれた海賊から解放された夫に再会する」と言う単純なものであり、出演者も男女2人ずつで、
合唱も無いきわめて小規模な室内オペラである。しかし、ハイドンらしい優雅な曲で、なかなか素晴らしいアリア
(第一幕のシルヴィアのアリア)もあり、結構楽しむことができた。
歌手は、偶然か4人(中村春美、森田裕子、岡本泰寛、佐野正一)
とも過年度の「日伊声楽コンコルソ」の入賞或いは入選者であり、歌唱力には若干の差はあったものの、
皆素晴らしい声の持ち主であった。
演出は、鏡を多用したユニークなものであり、舞台奥にはスクリーンを兼ねた可動式の不等辺五角形の鏡を置くとともに、
舞台の左右には天井までの巨大な鏡を設置して、これに床面の青い海や樹木を反映させ、小さな無人島の雰囲気を巧みに現出した。
しかし、鏡には人物も映ってしまうため、後方の席からは大型TVを横に3台並べて見ているような感じになってしまった。
エンディングでは、宮廷衣装のヴァイオリン、チェロ、フルート及びファゴットの奏者が順次舞台に上がり、
4人の歌手とともに優雅なソロや合奏を行い、観客をさながら宮廷劇場のゲストのような気分にさせてくれた。(2003.1.25)
「アラベッラ」は、個人的には前回 (1998/9)の新国立劇場での公演を見落としていることもあり、今回初めて実演に接した。 リヒアルト・シュトラウスと文豪ホフマンスタールと組んだ最後(4作目)の作品であり、典型的な会話劇である。この日の公演は、 タイトルロール以外は全て日本人歌手であったが、五十嵐芸術監督が自負する「現状でのベストメンバー」とまでは行かなくとも、 それに近い適材適所であり、大変素晴らしい公演であった。若杉 弘の指揮による東響の響きも良く、 R.シュトラウス独特の心地よい音の渦に巻き込まれた一夜であった。また、幸い前列の席でもあったので、歌手の表情もよく見え、 ドラマとしても楽しむことができた。アラベッラを歌った米国出身のシンシア・マークリスは、 持ち前の艶のある美声を自在にコントロールして、複雑な心境を見事に表現した。妹ズデンカを歌った中島 彰子は、 相変わらず歌唱力抜群であったが、ストーリーでは体系も似た姉妹のはずなので、マークリスとの身長差が多少気になった。 マンドリカを歌った大島 幾雄は、昨年の「マイスタージンガー(二期会公演)」に続き天性の強靭な美声を活かし、好演であった。 マッテオの中鉢 聡は、美声に強さも加わり、やはり好演であった。 ヴァルトナー伯爵を歌った池田 直樹も貫禄充分な声で、存在感を示した。 コロラトゥーラの技巧を要する舞踏会の人気者フィアッカミッリは、最近進境著しい鵜木 絵里が見事に歌い、演じた。演出・装置は、 きわめてオーソドックスなもので、3幕ともよかった、特に第二幕の舞踏会の会場は、はっとするほどの豪華さであった。 また、今公演では、第二幕と第三幕が続けて演奏されたが、三幕の前奏曲に乗って行われた新国立劇場の機能をフルに生かした 大きな舞台変換は、まことに鮮やかであり、幻想的でさえあった。(2003.2.1)
中劇場でのこの公演は、恒例となっている年度末の「新国立劇場オペラ研修所」の研修公演であるが、
同研修所在籍の十数名(第3〜5期生)に内外の賛助出演者数名でダブルキャストを組み、新日本フィルがピットに入った4日間の
本格的な公演であった。この研修所からは、第一期生の山本美樹、林美智子のようなスター輩出もあり、
今後の同研修所の成果を楽しみにしている。
賛助出演のボヤン・ケネゼヴィッチ(フィガロ)及びデイヴィッド・マシュー・ベダート
(バルトロ)は、欧米でかなりの実績のある人らしく声もよく、演技もこなれていた。スザンナをうたった4期生の大西恵代は、
やや線が細いが素直な美声で好演であった。伯爵を歌った桝 貴志も、声も良く立派な貫禄であった。伯爵夫人を歌った安藤赴美子は、
初めて聴いたが、やや硬質のよく通る美声の持ち主で、2つの有名なアリアも大変よかった。ケルビーノの増田弥生は、芸大主席卒業、
日本音楽コンクール1位入賞(歌曲)という最高のキャリアが示すように玄人好みの実力派歌手であるが、
個人的な声の好みもあり、オペラ歌手としては、コンクール歴は特に無いようだが今公演でもマルチェリーナを好演した
同じメゾソプラノの林美智子(賛助出演、1期生)にむしろ大きな期待を持っている。なお、昨年11月の同研修所のリサイタルでは、
大器の片鱗を見せた5期生の与那城 敬(Br)が、今公演ではフィガロではなく、脇役のアントーニオにまわされたのは残念であった。
舞台は、グレーを基調としたシンプルなものであったが、背面のスクリーンも利用して城の雰囲気を出し、まずまずであった。(2003.3.21)
2003.3.27:「ジークフリート」
斬新と言うよりは、むしろ奇抜というべきキース・ウォーナー
の演出で話題となっている「トーキョー・リング」も3年目で第3作の「ジークフリート」を迎えた。昨年度の「ワルキューレ」では、
ブリュンヒルデが本来の岩山の頂上ではなく、病院のベッドの上で長い眠りに付くという意外な演出であっただけに、
どのようにストーリーを繋ぐのか大いに興味を持って劇場に出かけた。今公演は欧米で活躍する一流歌手を集め、
N響がピットに入るという贅沢な公演であっただけに、総合的には、3年前に
METで見た「リング」同様、十分に感動的であった。
サイ・イエングアン(崔岩光)が、新役(ムゼッタ)に挑戦するということなので、ファンクラブの一員として当然、彼女の出演する
Bキャストの日を選んで出かけた。Bキャストは、日本人歌手中心であったが、歌も演技も皆素晴らしく、ドラマとしても十分に盛上った。
ゲネプロでA,B両キャストを聞き比べた人の話では、総体的にBキャストの方が良かったとのことである。特に、
美声と美貌を兼ね備えた大岩千穂と崔岩光(写真)の2人のソプラノが光っていた。大岩を聴くのは、
一昨年夏のヴェルディのレクイエム以来であったが、今回も感情豊かにミミをうたいあげた。崔は、歌はもとより素晴らしかったが、
演技にも新境地を開いた。男性陣も主役級の3人も好演であった。ロドルフォを歌ったメキシコ出身のアルフレード・ポルティーヤは、
低音域の響きが若干悪かったが、高音域は、力強くよく響いた。マルチェッロの牧野正人及びショナールの谷 友博は、
持ち前の豊かな美声を響かせた。
:2003.5.16:G.Gazzaniga「ドン・ジョヴァンニ」
小劇場オペラの第10回公演として取り上げられた
このG.ガッツァニーガ作曲の「ドン・ジョヴァンニ」は、モーツアルトの同名の不朽の名作の陰に隠れているが、Amazonで検索すると、
CDが3種出ており、日本でも「モーツアルト劇場」による2度の公演記録もある。単独で歌われるような華麗なアリアはないが、
モーツアルトのものより喜歌劇の要素も強く、もう少し広く上演されても良いオペラではなかろうか。
台本(G.ベルターティ)の大筋は、モーツアルトのものと殆ど同じというより、逆に半年遅れで初演されたモーツアルトの曲の台本作家
(ダ・ポンテ)が、これを種本にしているようだ。ドン・ジョヴァンニ(T)、ドンナ・アンナ(S)、オッターヴィオ(T)、エルヴィラ(S)は、
同名で出ており、レポレッロ、ツェルリーナ、マゼットに対応するパスクァリエッロ(B)、マトゥリーナ(S)、ビアージョ(B)も登場する。
農民の婚礼の場などでは、曲まで似ていたようだ。音楽的には、ドン・ジョヴァンニがテノールの役になっている以外は、
登場人物の声域もほぼ同じである。また、エルヴィラ及びパスクァリエッロが一層重視されている。
なお、エルヴィラとマトゥリーナの口喧嘩のデュエットは、「フィガロの結婚」のスザンナとマルチェリーナのやりとりを髣髴させ、
面白かった。オーケストラは、弦中心の小編成のものであったが、木管・金管を代表して加わったオーボエとホルンが、
巧みに生かされていた。
003.6.12:「欲望と言う名の電車」
個人的には、「欲望と言う名の電車」と言う題名からは、まず、1950年代前半に公開されたエリア・カザン監督、マーロンブランド、
ヴィヴィアン・リー主演の名画が思い出され、作曲者のアンドレ・プレヴィンといえば、まずハリウッド映画が連想される。
このプレヴィンが、テネシー・ウイリアムズの原作に基づいて作曲し、1998年9月に初演されたのがこのオペラである。
「貸劇場公演」としての今公演(東京室内歌劇場主催・同劇場創立35周年記念特別公演)は、その日本初演となった。
このオペラについてネット上で調べると、欧米では、「21世紀後半の傑作として後世に残るであろう」とか、
「25年前のブリテンの”ヴェニスに死す”以来の最高の新作オペラである。」などと絶賛されているようなので大いに期待して出かけた。
プレヴィンの作風は、台詞入りのミュージカル風かなという予想に反し、プレヴィン自身が、「オペラにおける理想は、
ブリテン、バーバー、R.シュトラウスだ」と語っていように原作に忠実な会話劇となっている。古典的なアリアこそ無いが、
ブランチの独白場面等聞かせどころも多い。オーケストラも打楽器が活躍し、時には大きく盛り上がるが、歌の場面では音が適度に抑えられ、
お陰で歌詞(英語)もかなりよく聞き取れた。なお、原作の戯曲(和訳)
がネット上でも公開されている。
2003.6.15:「オテロ」
オテロといえば、やはりNHK招聘の第二次イタリアオペラ(1959)での世紀のテノール、マリオ・デル・モナコ(写真)
主演の公演が思い出される。「黄金のトランペット」の異名で知られた彼の声は、確かに素晴らしかったが、大阪フェスティバルホール2Fの最後部で聴いたせいか、
意外に柔らかく響いたことを覚えている。
(その後10年位たって、彼が50歳代の時にコンサート会場の前席で聴いた時には、まさにトランペットの響きだと感じた。)
潟宴買Hーチェ主催によるオペラ劇場(大劇場)での「貸し劇場公演」である。同社による昨年(2002)8月の「愛の妙薬」公演は、
理想的な歌手を揃え、大変素晴らしい公演(DVDとして発売中)であったので、今回も大いに期待して出かけた。
タイトルロールは、2年ほど前に新国立劇場公演の「トロヴァトーレ」でレオノーラを好演したフィオレンツァ・チェドリンス(S)が歌ったが、抜群の歌唱力
に加えて、本人の談話にもあるように声に色彩を持たせ、演技も巧く、なかなか立派なノルマであった。アダルジーザは、当初予定されていたアンナカテリーナ・アントナッチ
が体調不良のため、代わってアルゼンチン出身のニディア・パラシオス(MS)が歌ったが、ちょっとマリア・カラスに似た可憐な容姿ながら声は大変立派であり、
今後の活躍が期待される。
一方、ポリオーネを歌ったヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ(T)は、「ポスト三大テノール」の一人とも言われているようであるが、声の艶(中音部)、
歌唱力も今一の感があり、期待が大きかっただけに少々失望した。
演出、美術、衣装は、「愛の妙薬」の場合同様、鬼才ウーゴ・デ・アナが担当したが、各場面とも巨大な柱と壁面で構成し、深刻なストーリーに見合った
重厚なステージが現出した。装置は、各場面とも観客席に対して20度くらい斜に設置され、奥行きを出すとともに、柱や壁面のゆっくりとした移動によって巧みに
場面転換がはかられた。また、ノルマの衣装や髪飾りは、調和の取れた豊かな色調のもので、しかも各場面ごとに変わり、観客の目を楽しませてくれた。
なお、今回の公演もDVDでの発売が、計画されているためか、脇役(ジョルジョ・スーリアン、中鉢聡他)も充実しており、
総体的にこのベルカントオペラ名曲中の名曲を充分に楽しむことができた。 (2003.8.1)
歌手は、男性陣が優れていた。
ジークフリートを歌ったクリスチャン・フランツは、衣装の関係もあり、余り颯爽とした勇者には見えなかったが、
さすがに声は素晴らしくヘルデン・テノールとしての実力を示した。ミーメのゲルハルト・ジーゲル(T)、声も演技も素晴らしく,
時にはジークフリートを圧する感さえあった。さすらい人を歌ったフィンランド出身のユッカ・ラジライネン(B)、
アルベルヒのオスカー・ヒッレブラント(Br)、ファフナーの長谷川顯(Bs)も、なかなかの好演であった。
一方、女性陣では、エルダを歌ったハンナ・シュヴァルツ(Ms)は好演であったが、ブルンヒルデを歌ったスーザン・ブロック(S)は、
声量はあるが声が割れ気味で少々失望した。森の小鳥役の菊池美奈(S)は、
ペンギンのようなぬいぐるみに入ったり、宙吊りになったり大変であったが、歌は可憐でよかった。なお、
準・メルクル指揮下のN 響はさすがに見事な響きであった。
一方、演出は、第2幕が色彩も豊かで、かつ幻想的であり、最も楽しめた。第3幕も大掛かりな舞台移動や、抽象的な大道具が面白かった。
しかし、第1幕は、本来の森の中の洞窟が、TVや冷蔵庫の置かれた現代的居室になっているのは良いとしても、
折れた霊剣ノートゥングを鍛え直す作業は、いま少し工夫できなかったものだろうか。2つ折れの剣をさらに手で折ってサラダボウル
に入れ、ドレッシングのようなものをかけ、電子レンジに入れて溶かすというのは、さすがに軽すぎて滑稽であった。 (2003.2.28)
2003.4.20:「ボエーム」
一方、原作と音楽を大事にしたという粟国 淳の演出は、きわめて正攻法であり、
ドラマとしても大いに盛り上がった。舞台も、背景の古めかしい建物、各幕の冒頭での紗幕の利用等で「ユトリロの世界」が現出した。
しかし、第1幕及び第4幕の屋根裏部屋などは、あまりにもリアルでみすぼらしく、新国立劇場の
「トウキョウ・リング」やTVで見たブレゲンツ音楽祭の「ボエーム」などの奇抜な演出に馴れてきたせいか、
多少の新機軸の演出が欲しい気もした。逆に、第二幕は旧いパリの繁華街の雰囲気がよく出ていて楽しかったが、
背景の建物を劇場機能に頼って動かし過ぎたのではなかろうか。(2003.4.21)
この日は、Bキャスト出演の日であったが、タイトルロールの上原正敏は、声を抑え気味にやわらかく歌い色事師の雰囲気を出そうとした
のかもしれないが、今ひとつ迫力不足を感じた。パスクァリエッロ役の志村文彦は、重厚な声と軽妙な演技でひときわ光っていた。禿げ頭、
赤鼻の扮装も良かった。エルヴィラの井上ゆかり、ビアージョの太田直樹、マトゥリーナの国光智子、オッターヴィオの塚田裕之は、
いずれも若々しく豊かな声を駆使しで好演であった。一方、演出(今井 伸昭)は、舞台中央部の開閉を巧みに利用して、
狭い舞台に奥行きを持たせたり、客席後部から登場した歌手を客席中央で歌わせたり、工夫の跡が見られ、
ドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面もまずまずであった。(2003.5.19)
この日の公演は、ブランチ:釜洞祐子、ステラ:三縄みどり、スタンリー:宮本益光、という主役陣であったが、
歌も演技も大熱演であり、ドラマとしても大変面白かった。釜洞の演技は、映画でのヴィヴィアン・リーの強烈な演技と比べると
やや印象が薄いが、歌は良かった。宮本は、硬質で良く響く声が荒くれ男のスタンリーにあっており、好演であった。ステラの三縄は、
はじめて聞いたが、深みのある美声の持ち主で声量・歌唱力も充分であり、やはり好演であった。脇役では、ユーニスを歌った岩森が声、
演技とも役にぴったりで、異彩を放っていた。
演出は、回り舞台を巧く利用し、装置もニューオーリンズの雰囲気を出すため四隅にネオン塔を建てたりして、
簡素ながら良く工夫されていた。なお、このオペラが音楽的に大傑作かどうかは、まだ判断しきれないが、是非オリジナル・
キャストでのビデオ或いはCDで、聴き直して見たい。(2003.6.14)
今公演では、2000年9月の「トスカ」でスカルピアを好演したホアン・ポンスの出演する日を選んで出かけたが、彼を含めて歌手陣は、
適材適所で理想に近いものであった。タイトルロールは、ロシア出身のウラディーミル・ボガチョフが歌ったが、高音部はきわめて輝かしい一方、
リリックに歌い上げる部分も素晴らしかった。モナコやドミンゴとは一味違うが、猜疑心の強いオテロを良く表わしていた。
デズデーモナを歌ったイタリア出身のルチア・マッツァリーアは、体躯に比例して声も大きいが、高音から低音までむらのない美声で歌唱力も充分であった。
聴かせどころの有名な「柳の歌」から「アヴェ・マリア」の部分は、やはり素晴らしかった。スペイン出身のホアン・ポンスのイアーゴは、歌
、演技とともに体躯も堂々としており、充分に存在感を示した。カッシオを歌った吉田浩之も持ち前の伸びやかな美声を活かし、好演であった。
脇役陣も、エミーリアの手嶋真佐子等が好演した。
演出では、第一幕冒頭の戦闘の場面は、客席に向いた巨大な大砲及び兵士の適切な配置、背面スクリーンへ投影等によって大変リアルで迫力があった。
第四幕のデズデモーナの寝室でのデズデーモナの絞殺、オテロの自殺の場面もごく自然な動きであった。また、
第二幕、第三幕の巨大な石柱を配した広い空間は、重厚でなかなか良かった。菊池彦典指揮下の東フィルの響きも良かった。(2003.6.15)
2003.7.31:「ノルマ」