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(6) 2001/2002シーズン公演(最終更新日:2002.9.1)

2001.9.15:「トゥーランドット」

未完に終わったプッチーニの最後のオペラ「トゥーランドット」は、音楽の素晴らしさと共に、 北京の紫禁城を舞台とする異国情緒に溢れ、物語もドラマチックな謎解きであるため、世界各国で屈指の 人気オペラとなっている。特に今回の国立劇場公演では、フランチェスカ・パタネー、アルベルト・クピード、 出口正子等内外の実力者歌手が揃うとともに、ボローニャ歌劇場等の公演で絶賛を博したウーゴ・デ・アナ の演出・美術をさらに練り上げた舞台との前評判であったので、今シーズンのオープニング公演(初日)に 大きな期待を持って出かけたが、期待を裏切らない感動的な公演であった。

タイトルロールを歌ったパタネーは、この役のスペシャリストを自認するだけに、さすがに立派であった。 声は若干鼻にかかったような響きもあったが、迫力のある美声で押しまくった第二幕とフィナーレの カラフに愛を感じた後の表現の対比も見事であった。カラフを歌ったクピードは、国立劇場出演も4回目 となり、専属テナーとも言えそうだが、今回も持ち前の朗々と響く美声で観客を喜ばせてくれた。 リュー役の出口正子も役ずくり、歌唱ともまずまずであった。 一方、ウーゴ・デ・アナの演出・美術・衣装による舞台は、色鮮やかな現実の紫禁城とは異なり、 中央に無機的な巨大な球体が据えられ、ドラマの展開に応じてこれが三つに割れ、中央に トゥーランドットが、「NHK紅白歌合戦」の小林幸子よろしく、固定された「衣装」の上から顔を出す という奇抜なものであった。イタリアからの借入れた今回の装置は、組み立てに10日間を要した とのことである。中国的な雰囲気は薄められているが、ブルーを基調とした照明とあいまって、 印象的なすばらしい舞台であった。 なお、トゥーランドット物語の「謎」については、プログラムの中でもかなり詳しく解説されているが、 さらに興味を持たれる方には、この物語の 「起源」 「変遷」についての 最上英明 香川大学教授の詳細な最新の「研究ノート」を一読されることををお勧めしたい。(01.9.18)

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2001.10.11:「花言葉」

このオペラの作曲家レンツォ・ロッセリーニは、「キネマ旬報」の洋画ベスト100にも選ばれている「無防備都市」をはじめ、 「ローマで夜だった」、「ドイツ零年」、「ロベルト将軍」等の映画の作曲家として知られていたが、 オペラも数曲作曲していたことは、今回初めて知った。 この「花言葉」は、1963年が初演なので、まさに現代オペラであるが、ベルクの「ヴォツェック」や「ルル」ような先鋭な曲ではなく、 親しみやすいきれいな曲である。ストーリーは、「孤児ロシータは、花屋を営む叔父・叔母の住まいで生活を楽しんでいたが、 従兄でもある婚約者が突然アルゼンチンに呼び戻されてしまう。従兄の帰りを20年以上も待ち続け、結局、"老嬢"になってしまい、 邸宅も売り払われ、寂しく去って行く。」という一種の悲恋物語である。ロシータの生涯を、一日咲きのバラになぞらえた 物語であり、詩的な余韻が漂っている。イタリア語が判れば、さらに詩情が感じられるのでは無かろうか。しかし、 殆ど上演されることのないオペラとなってしまったのは、結末が寂しすぎ、打楽器などでメリハリを付けてはいるものの、 音楽も全般的にやや平板であるためではなかろうか。一方、今公演の歌手陣は、2〜3の貧弱な声の人を除いて、 主役級の数人は大変素晴らしく、特に中鉢 聡(従兄)と腰越 満美(ロシータ)は、声、歌唱力、容姿とも申し分なく、 2人の別れの場面は、名画の一シーンのようであった。志村 文彦、竹村 佳子の叔父・叔母もやはり適役で、 ドラマを盛り上げていた。一方、舞台は三幕を通して変わらず、庭に面した洋間であるが、 小劇場の狭い舞台に半円形の見事な空間を作り出し、隣接する花屋や庭からの出入りも自然で大変良かった。また、 出演者全員の衣装も、豪華過ぎると思われるほどあでやかで、目を楽しませてくれた。(2001.10.12)

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2001.10.13:「コシ・ファン・トゥッテ」

このオペラは、ストーリーの荒唐無稽さにかかわらずその音楽の素晴らしさのために、 モーツァルトの4大オペラの一つとして不動の地位を保っている。私自身も大好きなオペラであるため、実演に接する機会も多く、 また、ビデオも幾種か持っている。歌手をシンメトリックに配置し、見事な効果を上げているポネルの演出をはじめ、 いろいろな演出があるが、今回の中村邦仁の超現代風の演出には驚かされた。ドン・アルフォンソがいきなりダブルの背広姿で登場し、 変装後のグリエルモ、フェランドの2人は、ピーコック族とでもいうのか、サイケデリックな現代青年のスタイルで現れた。 ワグナーの「リング」にも背広姿の歌手が登場する時代なので、一つの流行或いは実験かもしれないが、 「コシ」にはどうも馴染まないように思えた。荒唐無稽なストーリーも、異国の昔話ということで一応納得できるのであり、 あまりにも現代的な服装では違和感がつのるばかりであった。
また、舞台装置は、事務用の椅子と変形の透明プラスチック製の衝立だけの殺風景なものであった。背景には、大型スクリーンを配し、 人物や水面のような景色が写されたが、画面は概して暗く不鮮明であり、効果的とはいえなかった。プログラムに書かれた演出家の意図が 理解できないわけではないが、オペラから視覚的な楽しさが取り去られてしまい、演奏会形式との差もほとんど見出せない。
一方、歌手陣では、小畑朱実(ドラベッラ)、黒田博(グリエルモ)、高橋薫子(デスピーナ)が、いつもの実力を発揮し、 初めて聴いた大沢健(ドン・アルフォンソ)および上原正敏(フェランド)もなかなかの好演であった。しかし、 フィオルディリージを歌った高橋照美は、線が細く、この役に要求される長女としての威厳と気品も十分とはいえなかったのは残念であった。 なお、今公演は、「モーツァルト劇場」主催の「貸し劇場公演」であり、 高橋英郎の訳詞による日本語公演であったが、訳詞の場合にあり勝ちな不自然さがほとんど無く、ストレートに歌を楽しむことが出来た。(2001.10.14)


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2001.11.4:「ナブッコ」

新国立劇場での「ナブッコ」公演は、1998年6月以来2度目である。 このオペラは、ヴェルディの出世作であり、旧約聖書に題材を求めたきわめてダイナミックな曲である。また、合唱が重要な役目 を果たし、特に祖国への思いを歌った第3幕の「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」は、イタリアの第2の国歌とも言われ親しまれている。この有名な 合唱曲は、ヴェルディ自身が「初演のためのリハーサル時、建物修理のため大勢の大工が入り、大きな音を立てて作業をしていたが、 この合唱が始まった途端、会場が教会のように静まり、曲の終わりと共に大工達の間に万雷の拍手が沸き上った。この瞬間、 このオペラの成功を確信した」と回想している。 今公演の演出は前回同様アントネット・マダウ=ディアツが担当したが、絢爛豪華な舞台装置をうまく配置し、観客を紀元前の世界に 引き込むことに成功した。歌手は、タイトルロールを昨年6月「リゴレット」を好演したアレクサンドル・アガーケ(バリトン)が歌ったが、 重量感にあふれる美声を響かせ正に適役であった。国立劇場初登場の大祭司ザッカーリアを歌ったフランチェスコ・エッレロ・ ダルテーニャ(バス)も負けずに迫力満点の歌を聞かせた。王女アビガイッレを歌ったハスミック・パピアン(ソプラノ)も初登場であったが、響きが軽い部分もあったが、 きつい性格の難役を見事にこなした。 日本人歌手では、ナブッコの甥イズマエーレを歌った佐野成宏は好演であったが、王女フェネーナを歌った富士川真佐美(メゾソプラノ)は 、声量十分ながら、声に潤いが乏しく、優しく純情なフェネーナの心情が十分には伝わらなかった。合唱(新国立劇場合唱団/藤原歌劇団合唱部) 及びパオロ・オルミ指揮のオーケストラ(東フィル)は熱演であった。(2001.11.5)


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2001.11.18:「ドン・ジョヴァンニ」

「ドン・ジョヴァンニ」は、新国立劇場として2 回目の公演であり、しかも 前回(2000年1月)観たものとと同じ演出(ロベルト・デ・シモーネ) ということなので、今回はパスしようかとも思ったが、 前回若干不満を持った タイト ル・ロールをビデオやCDでも馴染みの世界的なバス・バリトンであるフェルッチョ・フルラネット (写真)が新国立劇場初出演と言うことなので、あえて出かけることにした。 さすがにフルラネットは、このタイトルロールを十八番としているだけに豊かで艶のある美声で貫禄十分であった。外国公演の批評などで は、演技への注文もあり、またレポレッロの方が適役ではとの声もあるようだがやはり声の素晴らしさが圧倒的で細かいことは別にして 十分に堪能することが出来た。また、ドンナ・アンナを歌ったカナダ出身のアドリアンヌ・ピエチョンカもやはり新国立劇場初出演で あったが、深みのある美声と抜群の歌唱力で、正に適役であり、ドラマの盛り上げに大きく寄与した。一方、前回はタイトルロール、 今回はレポレッロを歌ったナターレ・デ・カロリス、及びドンナ・エルヴィーラを歌った山崎美奈・タスカは、歌唱力はあるが前述の2人 に押されてやや影が薄かった。ツェルリーナは前回同様高橋薫子が歌ったが、相変わらず声、歌唱力、演技の 三拍子が揃い、正に当たり 役であった。ドン・オッターヴィオは、まだ芸大大学院在学中の櫻田亮が歌ったが、実にやわらかくきれいな声で 歌唱力もすばらしかった。貴重なリリック・テナーとして今後の活躍が期待される。 演出・装置は重厚で悪くは無かったが、「地獄落ち」の場面は前回同様、工夫に乏しく物足りなかった。 (2001.11.20)

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2001年11月23日:「キジムナー時を翔ける」

「キジムナー」は、今年(2001年)前半のNHK朝ドラマ「ちゅらさん」にも現れた沖縄民話上の 妖怪である。「ガジュマル」の木に住み、背丈は子供くらいで赤い顔、赤い髪をしているという。木の精、森の精と考えられるが、 河童の仲間との説もあるようだ。このオペラは、キジムナーを題材に取り入れた(財)日本オペラ振興会主催の「貸劇場公演」である。 オペラサロン「トナカイ」でお馴染みの沖縄出身の有望テナー有銘哲也も出演するということなので楽しみにして出かけた。 曲名にはメルヒェンチックな響きがあるが、ドラマの中では地球温暖化や森林伐採などの今日的なテーマが扱われている。 文化庁が募集した「舞台芸術創作作品」のH2年度グランプリを受賞した中村透の力作である。 プロローグではいきなり沖縄の郷土楽器である三線(さんしん)のソロで始まり、オペラの要所要所では沖縄民謡が巧みに取り込まれている。 しかしこのオペラは、演劇的要素が強く、台詞の部分が多いが、随所に独特の沖縄方言が出てくる。やはり沖縄出身の嘉数好子 (アンマ−)のしゃべる早口の方言は、ほとんど理解困難であったが、方言部分のみ字幕が出たのはありがたかった。 標準語を話す人との掛け合いが大変コミカルで笑いを誘う場面も多かった。総体的には、ストーリーも大変楽しく、また、感動的なオペラと なっている。歌手では、オバア役の岩森美里は堂々とした声で、演技も堂に入っていた。カルカリナ(キジムナー)役の関根恵理子は声が 良く通り、衣装も似合っていた。ジラー役の有銘哲也も持ち前の豊かな美声を響かせた。一方、岩田達宗の演出は、強力な照明の助けも 借りて、幻想的な情景をうまく現出した。特に第2幕の舞台が素晴らしかった。しかし、第一幕のガジュマルの巨木は、 幹だけで枯れ木にしか見えず殺風景であった。枝先だけでも葉をつけて目を楽しませてほしかった。(2001.11.24)

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2001.12.8:「2人のフォスカリ」

今年1月の「王国の一日」同様東京オペラ・プ ロデュースによる 中劇場での「貸劇場公演」である。ヴェルディが妻子を亡くし、絶望の淵から這い上がりつつある時期に フェニーチェ座から依頼を受け、自ら選んだと いうバイロン原作のこのオペラの題材は、実話に基づいて いるとはいえ、「息子は無実の罪が晴れず、死に等しい追放を受け、続いて父はヴェネツィア共和国総督 の地位を追われ悲憤慷慨の中に死んでしまう」というストーリーがいかにも暗く、救いがない。 かなりの力作であるこのオペラが今回が日本初演というのもこのあたりに原因がありそうである。 幸いブルゾン、クピード主演のビデオを持っていたので「予習」をして出かけたが、 実演は総じて歌手 も良く、作曲者の意図が十分に伝わる熱演であった。 歌手では、父フォスカリ総督を歌った杉野正隆(バリトン)と息子ヤコボ・フォスカ リの妻ルクレツィア を歌った橋爪ゆか(ソプラノ)が大変良かった。杉野は、いかにも父親にふさわしい丸みを持った美声が 快く響いた。昨年12月小劇場公演の「オペラの稽古」で次女ハン ヒェンを好演した橋爪は、深みのある豊かな美声でドラマチックな表現も素晴らしかった。 ヤコボ・フォ スカリを歌った田代誠(テノール)も、声量豊かな美声の持ち主ではあるが、最高音域の声がやや痩せ気 味で、また声のコントロールにも若干の乱れがあったのは残念であった。 舞台装置は簡素であるがすっきりして悪くは無かった。しかし、一幕と三幕では背景 にサンマルコとお ぼしい寺院がぼんやりと映っていたが、簡素な装置を補完するためにも、もう少し明るく明瞭な映像にし てほしかった。衣装は、豪華ではないが時代にふさわしくなかなか良かった。(2001.12.10)

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2001.12.15:「ドン・カルロ」

今年の新国立劇場は、ベルディ没後100周年を記念して彼の円熟期の傑作のひとつである「ドン・カルロ」で締めくくられた。 6回公演の最終日に出かけたが、歌手、演出とも超一流でオペラの醍醐味を十分に満喫することが出来た。 (開演直前に1階S席に滑り込んだ小泉首相も「感動した」かな?)
「ドン・カルロ」は、ヴェルディが1867年の初演(フランス語版)以来20年に亘って大幅な改訂をし続けただけに、 大変完成度が高く、原作がシラーであり劇的要素もたっぷりの傑作であるが、5幕物の場合は余りにも長大であるため、 今公演でも標準的な4幕イタリア語版オペラ(1884年スカラ座初演)として上演された。 今公演の特徴は、映画監督としても有名なルキーノ・ヴィスコンティの1965年ローマ歌劇場での演出・美術・衣装をベースに 彼の弟子アルベルト・ファッシーニが演出を担当し、衣装・小道具に至るまでローマ歌劇場からの借物とのことである。 装置は建物 (修道院内部、王妃の庭園等)を含めて実物と見まがうほどの精緻なもので、衣装の時代考証も完璧とのことであり、 誠に見事であった。
歌手は、中心となるタイトルロールの米国出身の明るく伸びのある美声のフランコ・ファリーナ(テノール)、 フィリッポ二世を歌った艶のある深々とした豊かな声をもつベルト・スカンディウッツィ(バス)、ロドリーゴを歌った完璧な歌唱力と美声 を誇る知名度No.1のレナート・ブルゾン(バリトン)が特に素晴らしくまさに声の饗宴の極致であった。エリザベッタを歌った パオレッタ・マッローク(ソプラノ)は、オペラ・デビュー10年足らずとのことであるが、むらのない強靭な美声で、 声のコントロールも見事であった。この日のエボリ公女は、予定されたバーバラ・ディヴァーの急病で、急遽、近年欧州で大活躍の藤村実穂子 (メゾソプラノ)が歌ったが、声量、歌唱力とも上記の大歌手に引けをとらず,大きな喝采を浴びた。 しかし、欲を言えば低音部の響きに今ひとつ深みがほしい気がした。また、フィリッポ二世と同レベルの重い声が要求される宗教裁判長 を歌った彭康亮(バス)も熱演であったが、超弩級のスカンディウッツィの前にやや影が薄くなってしまったのは気の毒であった。(2001.12.16)

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2001.12.22:「ヴェニスに死す」

ロシア文学やフランス文学では、青年時代に幾つかの大作を読み、感銘を受けた記憶があるのに反し、残念ながらドイツ文学とは接触が 少なく、文豪のトーマス・マンも代表作のタイトルを1〜2想い出せる程度であった。今回、中劇場で行われた東京室内歌劇場主催の 「貸劇場公演」のこのオペラを観るに当たって、 原作の「あらすじ」を調べてみると、悪く言えば老作家の同性愛的「ストーカー行為」が主題のようであり、 余り気が進まなかったが、折角の機会なので、一応名訳との定評のある岩波文庫版で原作を読んでみた。確かに文学的には頗る格調が高く、東大名誉教授  藤本淳雄氏の表現を借りれば、「美と認識と倫理との微妙で危機的な関わりを、気品ある硬質な文体で表現」されているが、動きが少なく、 情景及び心理状況の描写が非常に細かいため、オペラ化が困難な題材に思われた。なお、充分には共感することは出来なかったが、 作者の少年愛は、美の象徴として取り上げているようであり、精神の純粋さは感じ取れた。また、原作では、 「美とは、われわれが感覚的に受けとり得る、感覚的にたえ得る、精神的なものの唯一の形態なのだ。」という表現が印象に残った。
ブリテンと台本作家パイパーの共同作品であるこのオペラは、原作にかなり忠実であるが、それだけに作曲者の苦心がしのばれる。 主人公が椅子に座ったままの場面が多いこのドラマに変化をつけるため、演出にも一工夫が必要であるが、今回は美少年役に体操の 世界選手権メダリストである田中光を起用したのは、意外ではあったが成功しており、彼とバレエ団員の海浜でのきびきびした動きは、 見事であった。田中は床運動のウルトラCの技も披露してくれた。演出に限れば「予習」のために観た、1990年グラインドボーン公演 のものより面白かった。一方、歌手は主役の作家アッシェンバッハを近藤政伸が好演し、 久岡昇が老いた伊達男、理髪師等の七役を見事に歌い分けた。また、民族楽器を含む20種もの打楽器が効果的に使われたオーケストラは、 若杉弘の丁寧な指揮によって精彩を放っていた。(2001.12.24)

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(2002.1.10-13:「ヘンゼルとグレーテル」)


2002.1.26:「忠臣蔵」

三枝成彰作曲のこのオペラは、初演版(1997年、東京)、改訂版(2000年、名古屋) のいずれも観ていないので比較は出来ないが、今回の再演でもごく一部ではあるが改訂が施されたようだ。このオペラに関しては、 これまで評論家やファンの間でも毀誉褒貶が相半ばしていたように記憶している。台本に関しても「仮名手本忠臣蔵」 をベースとしているだけに、歌舞伎を「知らない」、「違う」といった批判もあったようだが、台詞が分量的に制約されるオペラに 演劇や映画と同レベルの密度のドラマを求めることは所詮無理であろう。かなり良く書けていると思われるダ・ポンテのシナリオ による「フィガロの結婚」ですら、昔たまたま父の蔵書にあった「世界戯曲全集」で 読んだボーマルシェの原作と比べると内容の希薄さ は覆いがたい。大河ドラマとして1年間放映されたり、歌舞伎では数段に分けて演じられる長い物語を1夜のオペラに 集約することの困難さを割引けば、この忠臣蔵は、結構楽しめる良くできたオペラといえそうだ。近年の三枝の曲は、 自ら自負しているように「感動を呼ぶつぼを押し」、聴衆を満足させてくれるため、大変耳障りがよい。3年ほど前に聴いた彼の 「レクイエム」ですら充分に楽しむことが出来た。
今回の「忠臣蔵」の演出は、前2回と異なり、昨春の「ねじの回転」で冴えを見せた平尾力哉が担当したが、今回も映像を多用し、 また、紗幕や回り舞台を効果的に用いて各場面の情景を巧みに表現することに成功した。なお、小型のリフターを用いて特定の人物を 空中高く持ち上げたのは、奇抜なアイディアではあったが効果は今一であった。 歌手陣では、力強く大石内蔵助を歌った大島幾雄を除いて、総体的に女性が良かった。 綾衣の腰越満美は昨秋の「花言葉」に引続き美声を活かして好演であった。遊女姿も大変きれいであった。 大工の娘お艶を歌った林正子は、部分的には歌唱の円滑さ不足を感じたが、持ち前の豊かな美声で見事に役をこなした。大石主税を歌った 手島真佐子もよかった。橋本平左衛門を歌った田中誠は、劇的表現は巧みであったが声が充分に伴わなかった。 また、岡野金右門衛門を歌った小貫岩夫も歌唱はよかったが、今一つ迫力不足であった。(2002.1.28)

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2002.2.8:「賢い女」

小劇場オペラシリーズ第6弾として取り上げられた「賢い女」は、、リズミカルな世俗カンタータ 「カルミナ・ブラーナ」で知られるカール・オルフ(1895〜1982、写真)が、グリム童話に題材を求め、自ら台本を書いたオペラであるが、 ビデオもCDも持っていないため、観るのも聴くのも始めてであった。いつものごとくダブルキャストなので、ビア・プラザ「ライオン」 でおなじみの筒井修平(バス)や昨年の「音楽コンクール」で2位に入った望月哲也(テナー)が出演するBキャストの日を選んで出かけた。ピアノ、 オルガンと打楽器だけの、いかにも大衆路線に切り替えた後のオルフらしい小気味良い演奏に乗って進行するこのオペラは、話も面白く、 大いに楽しむことが出来た。台詞の大部分が日本語であったのも良かった。歌手も高い水準で揃っており、また、皆芝居も上手であった。歌では、 迫力満点の美声を響かせた農夫役の筒井修平と清楚な美声で農夫の娘(賢い女)を歌った藤田美奈子が特に印象に残った。 ロバ引きを演じた望月哲也は、新人ながら芝居もなかなかのものであった。一方、演出(伊藤明子)は、王宮の召使をピエロ風に着付けし、 奇妙でコミカルな動作(ダンス?)をさせたり、三人の浮浪者を舞台前面の地下から突然登場させたり、意表を衝く場面を添えて、 ドラマを楽しませてくれた。装置は、少数の小道具だけのすこぶる簡単なものであったが、衣装はかなり派手ながらそれぞれの役に ぴったりで、視覚的にも楽しいものであった。 なおオルフには、かって音楽の友誌が「オペラ名曲250」に選んだこともある、やはりグリム童話によった男性歌手主体の小世界劇「月」がある。 是非、将来この小劇場シリーズで取り上げてもらいたい。(2002.2.10)

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2002.2.27:「ウェルテル」

国立劇場開場以来5年足らずで、「椿姫」などのスタンダード・ナンバーの多くが未だ公演されていない段階で、マスネの代表作である 「ドン・キショット」、「マノン」及び今回の「ウェルテル」の3作が上演されたが、新国立劇場の一つの主張として結構なことである。 しかも、指揮者にフランスからアラン・ギンガルを招き、いずれもがきわめて高い水準の公演であったことは、特筆に価する。なお、 「ウェルテル」は、勿論ゲーテの「若きウェルテルの悩み」に基づくフランスオペラの代表作の一つであるが、初演がウィーンでしかも ドイツ語公演であったことは、今回、五十嵐芸術監督の解説で始めて知った。
今公演では、ドミンゴ、パヴァロッティ、カレラスのいわゆる3大テナーに次ぐ人とも言われ、昨年「マノン」で好演したジュセッペ・ サッバティーニがタイトル・ロールを歌った。今回も、抑制のきいた美声と抜群の歌唱力は健在で、 このオペラの良さを十分に堪能させてくれた。相手役のシャルロットは、ヴェルディ・コンクール、マリア・カラス・コンクール等での 優勝という輝かしい経歴を持つ美人歌手アンナ・カテリーナ・アントナッチが歌った。確かに低音部もよく響く立派な声の持ち主で はあるが、声質がシャルロットの役には必ずしも向いていないように思えた。特にサッバティーニとの組合わせとしては、 多少違和感が残った。 一方、シャルロットの夫となるアルベールを歌ったナターレ・デ・カロリスは、ドン・ジョヴァンニやレポレッロでは、 今一つ物足りないものを感じたが、この役ではやわらかい美声がフランス語とも良く合い、なかなかの好演であった。 軽やかな美声で存在感を示したソフィー役の中島彰子をはじめ、久保田真澄、豊島雄一等の脇役も充実していた。 アルベルト・ファッシーニの演出は、きわめてオーソドックスなものであり、また、装置、特に第一幕及び第二幕の遠近感のある情景は 大変美しく、印象的であった。(2002.2.28)

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2002.3.7:「魔笛」

中劇場でのこの公演は、 新国立劇場オペラ研修所が卒業公演として年度末に無料公開してきたもので、 今年から有料になった。有料といってもわずか1,500円であり、ファンにとっては、大変ありがたい公演である。ところで、今回の公演は、 台詞の大部分を省き、代わりに語り手(土井 美加)を舞台に登場させドラマを進行させる手法を採ったが、 聞き手集団まで舞台上に現れたりしたので、ただでさえ判り難い筋がさらに複雑になってしまった感もあった。 しかし音楽はカットされなかったので正味の公演時間は、2時間を越え、原曲との差はわずかであった。 歌に重点を置いた研修公演であり、装置の費用削減のためやむを得なかったものとは思われるが、舞台上の装置は、 第一幕冒頭の大蛇も出ず、3個の三角錐のような衝立だけで、 場面によって象徴的な太陽、火、水等が吊り下げられた。それなりに工夫は見られたが、3人の童子を空中に浮かせるような派手な演出に 馴染んでいるせいか、オペラを観る楽しさは残念ながら半減した。また、照明の効果を出すためか、ほとんどの場面の背景が黒幕であったが、背面の スクリーンを活用してもう少し明るい舞台が作れなかったものだろうか。また、衣装はまちまちで、3人の侍女やパミーナは まずまずであったが、ピエロまがいのけばけばしいパパゲーノ、昔の車夫と見紛うタミーノだけはいただけなかった。
一方、肝腎の歌手は、全員なかなかの好演であり歌だけに絞れば十分に楽しむことが出来た。研修生の中では、パパゲーノを歌った 青山 貴、パパゲーナを歌った九嶋 香奈枝の美声と歌唱力が目立っており、パミーナの谷口 サチヨ、及び3人の侍女(安藤赴美子、 増田弥生、青木素子)も好演であった。賛助出演者の中では、ザラストロを歌ったジョン・エイムス(米国)の迫力ある美声 が際立っていた。タミーノのジャンウォン・リー(韓国)及び夜の女王の山本美樹(第一期生)も好演であった。(2002.3.8)

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2002.4.1:「ワルキューレ」

「東京リング」として注目を集めているキース・ウォーナー独特のポップアート風の演出 による「リング」第2弾である。今回の「ワルキューレ」の演出は、昨年の「ラインの黄金」の手法を踏襲したものであるが、 もしワグナー自身がこれを観る機会があったと仮定すれば卒倒したかもしれないほどの奇抜なものであった。しかし、 第二幕を除いて視覚的には大変面白く、一昨年METで観たきわめてオーソドックスなリング とは対照的な斬新な演出も結構楽しかった。第一幕の「フンディングの館」では、高さが2mもある机の上に横たわったり、 椅子に登って立って歌ったり、トネリコの樹が真赤な「巨大矢印」だったりの奇抜な演出であったが、ストーリーの進行を阻害 するほどのこともなく、構図、色彩及び照明の素晴らしさを楽しむことが出来た。第二幕の「岩山」の場面は、無意味に思える小道具 (映写機等)が散在する殺風景な大きく傾斜した平面だけであったが、さらに一工夫がほしかった。第三幕の「岩山の頂」の場面は、 場所がワルハル城内の病院に設定され、ワルキューレの乙女たちは看護婦であり、 ブルンヒルデが罰を受け火に囲まれて永い眠りにつくのが巨大なベッドの上という奇想天外なアイデアには仰天したが、 新国立劇場の舞台移動機構をフルに利用した壮大な場面転換の迫力には圧倒された。
一方歌手は、 新国立劇場初登場の人が多かったが、欧米で活躍している一流歌手を集めただけに総じて高い水準の歌を聞かせてくれた。 日本人で唯一人主役級のフリッカ(ヴォータンの妻)を歌った藤村実穂子もヴォータンを圧するほどの素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。 なお、ドイツオペラであるにもかかわらず、意外にも主役級のヴォータン(ジェームス・ジョンソン)、ジークムント (ロバート・ディーン・スミス)、ジークリンデ(スーザン・アンソニー)及びブルンヒルデ(リンダ・ワトソン) は米国出身の歌手が歌い、フンディング役のドナルド・マッキンタイアはニュージーランド出身であった。また、 8人のワルキューレの乙女にも日本人の一流歌手を配しており、全体の声量のバランスもよかった。 準・メルクル指揮下の東フィルも総体的にはなかなかの力演であった。(2002.4.2)

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2002.4.9:「夕鶴」

この公演は、「日本オペラ協会新人公演」と銘打れた(財)日本オペラ振興会主催の「貸し劇場公演」である。昨年(2001年)9月中国 ・蘇州旅行中に急死した團伊玖磨 (写真)には、近年「素戔鳴(すさのお)」や「建(たける)」などわが国の古代に題材を求めた大作があるが、 「古事記」や「日本書紀」を引用したりしているため、歌詞が難解で聴取り難いこともあり、個人的には余り好きになれない。その点、この「夕鶴」や「ちゃんちき」は、 素朴な題材で曲も親しみやすく、世界各国で演奏される機会が多いのは頷ける。なお、木下順二の「夕鶴」の素材となった 「鶴女房」の民話は全国数十箇所に伝えられているらしく、静岡県天城湯ケ島では 記念館、山形県南陽市では 資料館 まで建設されている。
今公演の出演者は、オーディションによって選ばれたとのことであるが、さすがに皆立派な声の持ち主であった。「つう」を歌った大貫裕子 (ソプラノ)は、「キジムナー時を翔る(2001/11)」や「日光(2001/12)」でも好演したが、特に高音部が大変きれいでよく響いた。与ひょうの有銘哲也 (テノール)は、演技は多少ぎこちなかったが、持前の美声と声量を活かして好演であった。「運ず」の馬場眞二(バリトン) も声量豊かな美声を響かせた。「惣ど」の長谷川寛(賛助出演)はバリトンながらバス的な重厚な響きを持ち、 惣どとの声の組合せも適切であった。
一方、演出的には与ひょうの所作(つうとの別れの場面ほか)に多少の不自然さを感じたが、 やや抽象化した住まいや雪景色の舞台は簡潔ながらなかなか良い雰囲気を醸し出していた。(2002.4.10)

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2002.4.28:「シャーロック・ホームズの事件簿・告白」

「小劇場オペラ」の第7弾公演としてのこの「シャーロック・ホームズの事件簿・告白」は、1978年から現在まで20曲近くのオペラを 作曲している原嘉壽子の第2作(1981年初演)であり、コナン・ドイルの探偵小説「金縁の鼻眼鏡」を原作としている。 原の作品は、新国立劇場としては1999年6月の委嘱作品「罪と罰」に次いで2作目の上演である。「シャーロック・ホームズ」シリーズは、 かってBBC制作のものをNHKがTV放映したが、これらの内の何作かを録画していたので、調べてみたが残念ながら「金縁の鼻眼鏡」 は見当たらなかった。原作も読んでいないので、全てが始めての作品であったが、ドラマとしても面白く、これまでに観た原のオペラ (「さんせう太夫」、「罪と罰」、「乙和の椿」、「滝廉太郎」)同様結構楽しむことが出来た。
第1幕は、オペラとしての聴かせどころが少なく、オペラとしては中途半端なものを感じたが、第2幕はストーリーの意外な展開もあり、 音楽的にも大いに盛り上った。歌手は、初めて聴く人も多かったが、皆好演であった。殊に作曲者の意図かとも考えられるが、 発声が大変明瞭で歌詞が聞き取りやすかった。ホームズ役は、先日(2002.2.24、関内ホール)「アルバート・ヘリング」のシド役でも 好演した宮本益光が、美声を活かし颯爽と歌い演じた。アンナ役の山本真由美もなかなかの美声を持ち、 ドラマティックな演技も見事であった。コラム教授を歌った多田康芳は、低音部の響きが若干悪かったが、 自分の過去を悔いる苦悩をうまく表現した。演出(岩田達宗)は、小人数の合唱団の配置や一部の歌手の登場方法が新鮮で、 観客を喜ばせてくれたが、コラム教授の寝室の壁が真っ黒のカーテンだったりで、舞台背景が暗すぎたのは、 予算の関係かも知れないが工夫不足に思われた。(2002.4.30)

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(2002.5.1-9:「サロメ」)
(2002.5.2-11:「トスカ」)
(2002.6.7-16:「カルメン」)


2002.7.14:「ペレアスとメリザンド」

「青い鳥」の作者メーテルランクの戯曲に基づく、ドビュッシー(写真) の唯一のオペラで、絵画でいえば印象派の絵のように独特の新鮮な色彩を持つ近代オペラの傑作の一つであるが、実演に接するのは中劇場での今公演 (モーツァルト劇場主催、貸劇場公演)が始めてであった。このオペラは、全曲が朗読風のレチタティーヴォによって貫かれており、その作風は、 ワグナーの「否定」、あるいは「パロディー化」とまでいう人もいるように、ワグナーの作風とは対極をなすものであるが、管弦楽の活用の巧さは共通のものである。 最近観る外国オペラは、殆どが字幕付きの原語上演であるが、今公演は「モーツァルト劇場」の常として日本語上演(訳詞:高橋英郎)であった。フランス語 と音楽とが完全に融合したオペラとして有名なだけに、多少の危惧を抱いて出かけたが、こなれた日本語であり、違和感は殆ど無かった。歌手陣(ペレアス:上原正敏、 メリザンド:足立さつき、ゴロー:星野淳、アルケル:大澤建、ジュヌヴィエーヴ:栗林朋子他)も充実しており、原曲の素晴らしさを十分に堪能することが出来た。 メリザンドを歌った足立さつきは、声、容姿ともに大変美しく適役であった。ゴローの星野淳は、初めて聴いたが、声量豊かな美声で演技にも迫力があった。 鵜山 仁演出による舞台は、円柱形の塔屋を中核としたモノトーンに近い配色のシンプルなものであったが、紗幕への投影を併用して幻想的な雰囲気が巧みに醸成された。 第三幕の塔の窓辺での逢引の場面も大変美しかった。(2002.7.14)


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2002.8.30:「愛の妙薬」

このドニゼッティの名曲「愛の妙薬」は、潟宴買Hーチェ主催による中劇場での「貸劇場公演」である。新国立劇場でも「マノン」, 「ウェルテル」を好演したジュセッペ・サッバチーニ、3年前の「仮面舞踏会」で新国立劇場初登場以来、その美声で日本のオペラファンを魅了している ヴィクトリア・ルキアネッツという2人が主演するこの公演には、大きな期待をもって出かけたが、歌はもとより演出も素晴らしく、実演ならではの 良さを満喫することが出来た。農夫(今回は画家)ネモリーノのサッバチーニと地主の娘アディーナのルキアネッツは、ともに気品に溢れる美声で、 透明な高音の伸びも素晴らしく、理想的な組合わせであった。体調を崩した堀内康雄に変わって恋敵の軍曹ベルコーレを歌ったアンジェロ・ヴェッチャは、 声が割れ気味であったが貫禄は充分であった。行商薬売りのドゥルカマーラのナレータ・デ・カロリスもまずまずの好演であり、村娘ジャンネッタの五十嵐麻利江も 表情豊かにこの喜歌劇を盛り上げた。演出・美術・衣装は、昨年9月の「トゥーランドット」の斬新な演出で我々の度肝を抜いたウーゴ・デ・アナが担当したが、 総体的に大変美しく楽しい舞台であった。特長は、まずネモリーノを農夫ではなく、ゴッホに見立てたうだつのあがらない画家に設定したことである。 そして第一幕の後半に舞台中央にあった建物風の横長の巨大なフレームが吊り上げられると、そこには一面が光り輝くひまわり畑が現れた。 第二幕のフィナーレではさらにこのひまわり畑が大きく拡がり、まことに見事であった。中劇場の優れた舞台変換機構も本領を発揮した。 色彩鮮やかな衣装も大変凝ったもので、観客の目を楽しませてくれた。しかし、村娘達が揃って扇子を持ち、裾を引きずる衣装の貴婦人スタイルとなる場面は さすがにやりすぎではなかったか。(2002.9.1)


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