なお、奈良時代に官命により五畿七道(東海道、東山道、北陸道、山陰道、南海道、西海道、山陽道)の街道の 両側に果樹を植え、「木陰を旅人の休息の場とし、木の実を食用とした」のが街道並木の始まりとされている。 一方、「街路樹」は、近代に入ってから,人口過密な都市の景観的魅力を向上させる為に発達したものであり, 参道並木,街道並木などとは区別されている。「街路樹(近代並木)」は、明治維新後に始まった近代都市計画により 、1874年(明治7年)に東京の銀座に植えられたマツ、サクラとされている(技報堂出版「街路樹」)。 しかし、横浜(関内:馬車道)には、 「近代街路樹発祥の地」という碑が立っている。これには、「1867年(慶応3年)に 馬車道の各商店が競って柳と松を連植した」との解説があるように、事実ではあるが「公認記録」ではないのかもしれない。