(12) 2008/2009シーズン公演(最終更新日:2009.7.13)-------- (大部分の画像は、クリックすると大きくなります)

2008.10.7:「トゥーランドット」
2008.10.25:「リゴレット」
2008.12.9:「ドン・ジョヴァンニ」
2009.1.5:「偽りの女庭師」
2009.1.17:「じゃじゃ馬ならし」
2009.2.7:「ル・グラン・マカーブル」
2009.3.13:「ラインの黄金」
2009.3.14:「カルメル会修道女の対話」
2009.4.9:「ワルキューレ」
2009.5.8:「ムツェンスク郡のマクベス夫人」
2009.5.15:「ポッペアの戴冠」
2009.6.10:「チェネレントラ」
2009.6.26:「修禅寺物語」
2009.7.11:「トスカ」



2008.10.7:「トゥーランドット」

新国立劇場の2008/2009シーズンのオープニング公演として。7年振りにプッチーニ作曲の 「トゥーランドット」が上演された。2006年のトリノオリンピックで荒川静香がこのオペラの 名アリア「誰も寝てはならぬ」の曲に乗って滑り、金メダルを獲得して以来、テノールのコンサート では、この曲がアンコールの目玉となるとともに他の楽器で演奏されることも多くなったが、今春の椿山荘での コンサートで東儀秀樹が篳篥(ひちりき)でこの曲を弾いたのには驚かされた。なお、今年がプッチーニ生誕150周年 ということもあり、最近はこのオペラ自身の上演も増えている。今公演は、新制作であり、しかも演出を 7-8年前(2001年2月、東京文化会館)の藤原歌劇団による「マクベス」の演出で絶賛を博したヘニング・ブロックハウスが 担当するとのことだったので大いに期待して出かけたが、演奏、演出とも期待通りの素晴らしい公演であった。 ブロックハウスは、時代背景をこの曲が作曲された1920年代に設定し、音楽が始まる前にプロローグを 置き、当時の人々が舞台に登場し、彼らがそのままドラマの人物に成り代わるよう運んだ上で、第一幕の 冒頭から第三幕のリューの死までを劇中劇として扱うという斬新な演出であった。宮廷美女軍団がフラダンス を踊ったり、終盤、20世紀初頭の洋装のカラフとトーランドットが”皇帝万歳!”という合唱をバックに抱 き合ったりするシーンなどには違和感もあったが、色彩豊かな舞台や大道芸人のアクロバットも 見事で目を楽しませてもらった。 一方、歌手陣も声量豊かな美声の歌手をそろえ、まさに声の饗宴であった。トーランドットを歌った デンマーク出身で新国初登場のイレーネ・テオリン(S)及びカラフを歌ったイタリア出身のヴァルテル・フラッカーロ (T)は、迫力満点の声を持ち、なかなかの好演であった。リュウーを歌った浜田理恵(S)も2人に負けない歌唱であった。 ティムールを歌った妻屋秀和(Bs)もいつものごとく圧倒的な声で存在感大であった。また、冒頭に現れた官吏役の 青山貴(Br)の朗々とした美声も特筆に価する。三人の大臣(ピン、パン、ポン)にも実力者の 萩原潤(Br)、経種康彦(T)、小貫岩夫(T)が配された。ただ、アルトゥム皇帝役の五郎部俊明(T)は、 声量の問題は別にしても、美声ながら響きが青年っぽく、皇帝の貫禄が十分には感じられなかった。 アントネッロ・アッレマンディ指揮下の東フィルは熱演であった。(2008.10.8 記)


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2008.10.25:「リゴレット」

新国立劇場の主催公演としては、8年ぶりの公演であるが、新製作ではなく、演出は前回同様アルベルト・ファッシーニのものである。 ファッシーニは3年前に没しているため、再演演出は、前公演で助手を務めた田口道子が担当した。細部の変更はあったかもしれないが、 前回と同じ大道具は、第1幕第1場及び第2幕の豪華絢爛なマントヴァ公爵邸の一室、回り舞台に乗った第1幕2場の質感たっぷりの 石造りの住宅街も大変見事であったが、第3幕のスパラフチーレの家の場面は、今回も、もう少しすっきりできなかったのかとの感を持った。
歌手は、ジルダには多少の不満が残ったが、総じて大変素晴らしく、ヴェルディのこの名曲を堪能することができた。 題名役リゴレットを歌ったグルジア出身のラード・アタネッリ(Br)は、 さすが欧米で活躍中のドラマティック・バリトンだけに迫力満点の歌唱で好演であった。マントヴァ公爵を歌った、やはりグルジア出身の シャルヴァ・ムケリア(T)は、ネット上でもそのリリック・テノールの美声が 紹介されているが、超高音が要求される「清教徒」のアルトゥーロも歌っているだけに高音の輝きが素晴らしくやはり好演であった。一方、 ジルダを歌ったフランス出身のアニック・マッシス(S)は、新国立劇場初登場ながらCDやDVDも多く、やはりネット上でも美声を聴くことが できるが、今公演では歌唱力抜群ながら、肝心の声の響きが軽く痩せて感じられ、少々物足りなかった。ふと、カヴァーの大隈智佳子の ジルダを聴いてみたいとも思った。日本人歌手による脇役陣(スパラフチーレ:長谷川 顯、マッダレーナ:森山 京子、モンテローネ伯爵: 小林 由樹、ジョヴァンナ:山下 牧子、チェブラーノ伯爵:大澤 建等)は、大変充実していた。なお、管弦楽は、ダニエル・カッレガーリ 指揮下の東フィル。(2008.10.26 記)


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2008.12.9:「ドン・ジョヴァンニ」

新国オペラ研修所の研修公演(2005年8月、中劇場)を除くと、新国立劇場での「ドン・ジョヴァンニ」公演は、2001年 以来となる。この間、2004年7月の二期会公演(東京文化会館)も観たが、今公演は、新制作とのことなので期待して出かけた。 演出を担当した新国3度目の登場のグリシャ・アサガロフは、「ドン・ジョヴァンニ」の演出は初めてとのことであるが、 正統的な演出の中に新鮮味もあり、なかなか良かった。アサガロフは、このオペラの舞台を原作の17世紀、 スペインから稀代の色男 カサノヴァの生まれ育った18世紀末のヴェネチアに移し変えた。第1幕の騎士長の邸は、水面に 対岸の建造物を映した運河沿いにあり、ドン・ジョヴァンニとレポレッロは、ゴンドラを利用して現れ、騎士長を殺して逃げ去る。 オペラ冒頭のこの場面は、視覚的にも大変美しく、素晴らしい演出であった。しかし、第2幕の冒頭では、模様入りの多数の垂れ幕を 利用したやや抽象的な舞台構成で、写実的な第1幕とはかなり趣が異なり、多少の違和感があった。 また、ドン・ジョヴァンニとレポレッロが入れ替わるエルヴィーラ邸の場面では、エルヴィーラは、もう少し高い位置で、また、 ドン・ジョヴァンニはもう少し薄暗いところで歌ってほしかった。また、終幕近くのドン・ジョヴァンニの地獄落ちの場面では、地獄を想わせる床下 から多くの腕が出て来てドン・ジョヴァンニを引き込む演出は面白かったが、やや迫力不足にも感じた。
一方、歌手は総じて適材適所で、高水準の公演であった。ドン・ジョヴァンニは、2007年4月の「西部の娘」でジャック・ランスを好演した ルチオ・ガッロ(Br)が歌ったが、声、演技ともなかなか良かった。 レポレッロを歌った新国初登場の アンドレア・コンチェッティ(Bs)は、立派な声の持主ではあるが、あえて注文をつければ歌唱、演技、容姿とも多少上品過ぎる嫌いがあった。 ドン・アンナを歌ったエレーナ・モシュク(S)及びドン・オッターヴィオを歌ったホアン・ホセ・ロペラ(T)は、 ともに豊かな美声を活かし、なかなかの好演であったが、ドンナ・エルヴィーラを歌った、やはり新国初登場の アガ・ミコライ(S)は、なかなかの美女ではあるが、高音部、低音部の声の響きに潤いが乏しく、多少期待はずれであった。騎士長役の長谷川顯(Bs)、 マゼット役の久保和範(Br)及びツェルリーナ役の高橋薫子(S)は、持ち味を生かしいずれも好演であった。 管弦楽は、コンスタンティン・トリンクス指揮下の東フィル。(2008.12.10 記)

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2009.1.5:「偽の女庭師」

「日本オーストリア交流年2009」の 幕開けを飾るイベントの一つとして、NPO法人「東京アンサンブル」主催でW.A.モーツアルト作曲のの「偽の女庭師」が 小劇場で上演された。このオペラのドイツ語版である「愛の女庭師」は、 2004年10月に「モーツァルト劇場」の主催で中劇場で上演されている。 今回の公演は、「セミ・コンチェルタント形式」ということで、小編成のオーケストラ(東京アンサンブル)が、暖簾状のスクリーンで隔てられた 舞台奥に乗り、その前面で男女をシンボリックに区別できる程度の超シンプルな衣装を付けた歌手によってドラマが演じられたため、 視覚的な楽しさは乏しかったが、今公演の目玉である落語家古今亭志ん輔の「語り」が面白く、結構楽しませてもらった。 落語と洋楽のコラボレーションは、東京文化会館(小ホール)でも時折行われているが、これは落語に伴奏を付ける程度であ るのに対し、今公演では、レチタティーヴォ やアリアの内容を「語る」もので、時には演技にも加わり、まさに主役のひとりでもあった。東京アンサンブルの芸術監督 で今公演の指揮者でもある服部譲二の企画によるこの大胆な試みには、喝采を送りたい。また、アドリブをふんだんに交えた 古今亭志ん輔の語りは、さすがに絶品で大いに笑いを誘った。しかし、イタリア語による複雑な恋愛喜劇で、台本もすっきり しないこのオペラのやりとりを十分には理解できず、もどかしく感じる場面もあった。「語り」との重複の問題はあるもののやはり字幕は 付けてほしかった。総体的には、日本語公演だった前述の「モーツァルト劇場」版の方がオペラとして楽しめた。
一方、歌手はオーストリアからの客演2人を含め、実力者ぞろいで、なかなかの熱演、名演であった。公爵令嬢ヴィオレンタ (女庭師サンドリーナ)役のマーラ・マスタリール(S)は、声も容姿も可憐で適役であった。代官ドン・アンキーゼ役の 石川誠二(T)、代官の姪アルミンダ役の高橋知子(S)、従僕ロベルト(ナルド)役の田代和久(Br)は、声も良く好演であったが、 ベルフィオーレ伯爵を歌った上原正敏(T)は、実力者ながら軽く歌いすぎる場面もあり、多少不満が残った。 若い紳士ラミーロを歌ったヘルミネ・ゼルペック(Ms)は、 ひときわ豊かな美声を持つとともに、大柄でズボン役としてピッタリであった。(2009.1.6 記>

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2009.1.17:「じゃじゃ馬馴らし」

「東京オペラ・プロデュース」の定期公演として、 ヘルマン・ゲッツ作曲の「じゃじゃ馬馴らし」が文化庁等の助成を受け、中劇場で上演(貸し劇場公演)された。 「じゃじゃ馬馴らし」がシェイクスピアの 傑作喜劇ということは知っていたが、読んだことも観たことも無く、ましてこれがゲッツによりオペラ化(独語)されていることは全く知らなかったので、ドラマ自体にも興味を抱いて出かけた。 このオペラは、戦前のドイツの歌劇場の重要なレパートリーであったということだけに、台本、音楽ともに大変よくまとまったオペラであり、演奏も良かったので 日本初演の今回の公演を十分に楽しむことができた。ヴェルディの「ファルスタッフ」に匹敵するとまではいえなくても、もう少しひろく上演されてしかるべき作品だと感じた。
カタリーネを歌った菊地美奈(S)は、声も容姿も美人のじゃじゃ馬娘にぴったりでであった。妹ビアンカ役の岩崎由美恵(S)は数年前の「日本声楽コンクール」 入賞時以来久しぶりに聴いたが、美声が健在であった。カタリーネを調教してしまうペトルーキオを歌った田辺とおる(Br)葉相変わらず芸達者であり、カタリーネとビアンカの父親バプティスタ役 の佐藤泰弘(Bs)は重量感にあふれた歌唱で、いずれも存在感十分であった。カタリーネの妹ビアンカを狙うルーセンシオ役の秋谷直之(T)は、強く豊かな美声で、また、同じく ビアンカに執心のホルテンシオ役の杉野正隆(Br)は持ち前のやわらかい美声で、やはり好演であった。
馬場紀雄の演出では、人物の動きは喜劇にふさわしい賑やかなものであった。舞台装置は、第2幕(バプティスタ邸の部屋)、第3幕(バプティスタ邸の大広間)及び第4幕 (ペトルーキオの別荘)簡素ながらそれらしい雰囲気が良く出ていたが、第1幕(バプティスタ家の邸の前)は、邸宅の横幅が十分でなかったためか、豪華さも不足気味に感じた。 なお、登場人物の衣装は、必ずしも豪華ではないが、それぞれの役柄によくマッチしていた。一方、松岡究指揮下の東京ユニバーサル・フィルのやわらかく抑え気味の管弦楽は、 歌手とよく調和していた。(2009.1.18 記)

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「蝶々夫人」:2009.1.12-24
「こうもり」:2009.1.27-2.1

2009.2.7:「ル・グラン・マカーブル」

「東京室内歌劇場」創立40周年記念公演の一環(第122回定期)として、 ジェルジュ・リゲティが作曲した唯一のオペラ「ル・グラン・マカーブル(大いなる死)」が「貸し劇場公演」として中劇場で 上演された。1978年に初演されたこのオペラは、1950年代から60年代にかけて前衛作曲家達の間に沸き起こった「アンチ・オペラ」活動 に対抗した「アンチ・アンチ・オペラ」ともされているようであるが、荒唐無稽なストーリーや演奏の困難さなどのためか今公演が 日本初演となった。このオペラは、DVDも市販されてなく、YouTube で部分的に見ただけだったので、今回の公演には強い関心を持った。観終わって、また、繰り返し観たいとは思わなかったが、好奇心は十分に 満足させてくれた。東京室内歌劇場は、これまでも埋もれた名作オペラを掘り起こし、多くの日本初演の実績を持っているが、今後の 活動にも大いに期待したい。 ストーリーは、まともな人間がひとりも出てこない荒唐無稽なものであり、全体的には、パロディー的に表現されてはいるが、フィナーレ の合唱で歌われる「死を恐れることなかれ! 自分の死時など、誰にも分からぬ! 陽気に生きよう、それまでは!」という言葉に象徴さ れる人生に対する一種の諦観がこのオペラのひとつの寓意であろうか。 このオペラは、形式的にはオーケストラ伴奏のもとにアリア、合唱のある古典的なものであるが、オーケストラの楽器構成は、弦が十数名 であるのに対し、管と打楽器が三十数名であるとともに、特殊な楽器として自動車のクラクション、ドアベルなども含まれている特異なものである。 第一場冒頭の12個のクラクションによるファンファーレは、独特の響きで、音楽的にもなかなか面白い。歌唱も音程の飛躍が多く前衛的な 響きを持つとともに、 ファルセットが多用されている。
実力者を揃えた歌手は、皆熱演し、総じて好演であった。ヴィーナス及びゲポポ役の森川栄子(S)は、難易度の高い コロラトゥーラのアリアを見事に歌った。主要な役の死神ネクロツァールを歌った 松本進(Br)は、重厚な声を駆使して存在感十分であった。 メスカリーナ役の西川裕子(Ms)の豊かな美声も際立っていた。アマンダ役の津山恵(S)、アマンド役の小畑朱実(Ms)のコンビも出番は多くないが、 その美声はレズビアン風の衣装とともに印象的であった。その他、大酒のみのピート役の高橋淳、白大臣役の青地英幸(T)、黒大臣役の和田ひでき(Br) も適材適所であったが、カウンターテナーを配したピート役は、演技は別にしてやや存在感が薄かったが、これは作曲者自身の意図なのか、 歌手(池田弦)のせいなのか良くわからなかった。 一方、藤田康城による演出は、中劇場の優れた舞台機構をうまく活用し、奥行きのある舞台を作り上げるとともに、垂れ下げた多数のロープなど やや無機的な背景が、音楽の響きによくマッチしていた。また、けばけばしい霊柩車の登場、ミラーボールの活用も効果的であった。 管弦楽は、ウリ・セガル指揮下の東京室内歌劇場管弦楽団。(2009.2.8 記)

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2009.3.13:「ラインの黄金」

キース・ウォーナー演出の 「ニーベルングの指環(リング)」は、2001年から2004年まで新国立劇場で毎年1作が上演されたが、その演出は斬新というよりは むしろ奇抜な演出の「トウキョウリング」として大いに話題になったが、新国の優れた舞台機構の活用もあり、スケールの大きい なかなか楽しめる公演であった。好評に応えて、今年度と来年度の2年に分けて2作づつ再演されることになった。今回の 「ラインの黄金」の演出については、 前回同様、ユニークな発想に感心する反面、軽すぎて滑稽に見えたり、衣装の不統一にも違和感を持ったが、 音楽的には歌手、管弦楽 (ダン・エッティンガー指揮下の東フィル)とも素晴らしく、官能的なワグナーの名曲を堪能することができた。しかし、個人的には、 オペラ・ツアーで観たMET公演でのオットー・シェンクによるオーソドックスな演出の素晴らしさが忘れられない。 新国での前回公演はダブルキャストであったが、今回はここ数年の新国立劇場の方針通り、シングルキャストであったが、日本人歌手も かなり多く起用された。歌手陣は、立派な声の持ち主を揃えた豪華なものであった。2003年の「ジークフリート」のさすらい人で 好演したヴォータン役のユッカ・ラジライネン(BsBr)及びアルベリヒを歌った新国初登場の ユルゲン・リン(Br)は、圧倒的に豊かな美声を持ち、 迫力満点であった。フリッカを歌ったエレナ・ツィトコーワは、いつものことながら、あの華奢な身体からは信じられないほどの豊かな声をもち、 女声陣の中ではひときわ光っていた。巨人族のファーゾルト及びファフナー兄弟を歌った長谷川顕(BS)及び妻屋秀和(Bs)は、声の豊かさでも一歩 も引けをとらず、存在感十分であった。また、巫女エルダを歌ったシモーネ・シュレーダー(Ms)も同様素晴らしかった。しかし、火の神ローゲ役の トーマス・ズンネガルド(T)は、美声ながら声がソフト過ぎ、ネクタイを付けた現代的な正装姿と相俟って何か違和感があった。ドンナーの稲垣俊也(BsBr)、 フローの永田峰雄(T)、ミーメの高橋淳(T)、フライアの蔵野蘭子(S)、3人のラインの娘たち(平井香織、池田香織、大林智子)も皆熱演であった。(2009.3.14 記)

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2009.3.14:「カルメル会修道女の対話」

今年度の新国立劇場オペラ研修所公演としてフランシス・プーランク作曲の 「カルメル会修道女の対話」が選ばれ、 中劇場で上演(ダブルキャスト)された。実話に基づいた悲惨な殉教物語のオペラということで、欧米のキリスト教国 では、オペラファン以外の人達にも親しまれているようだが、わが国では上演の機会も少ない。プーランクの全3作のオペラ (「ティレジアスの乳房」、「人間の声」、「カルメル会修道女の対話」)はビデオを持っているが、これまでに実演で観たのは、 「人間の声」だけであったので、今回の公演には期待して出かけた。このオペラは題名のとおり、「祈りは義務、殉教は報酬」などという 門外漢にはやや難解な宗教的対話が多く出てくるのと、心地よいプーランクの音楽に乗せられて、前半、睡魔に襲われ そうになる場面もあったが、後半はドラマ的にも盛り上がり、一応満足して劇場を後にした。 しかし、オペラ研修所9、10及び11期生中心の今公演は、演奏面では必ずしも満足できるものではなかった。 主役の1人ブランシュを歌った木村真理子(S、11期生)は、輝かしい高音の割には中低音の響きが今一に感じた。 他の女性歌手陣も皆熱演であったが、ビデオ(1987年MET公演)で観たジェシー・ノーマンのように突出した歌手は見当たらなかった。 一方、フォルス侯爵を歌った岡昭宏(10期生)及び脇役で出番はわずかであったが駒田敏章及び近藤圭の3人のバリトンに大器の片鱗を感じた。 ロベール・フォルチューヌによる演出は、場面転換の多い(3幕、12場)このオペラを紗幕の活用などで無難にこなした。 舞台装置は簡略化されたものであったが、第2幕4場の聖具室の場面は、良く雰囲気が出ていた。また、 十数名の修道女が次々に断頭台に上がるラストシーンは、 YouTubeで観られるものと酷似した演出であったが、ギロチンの落下音は迫力満点であった。 なお、管弦楽は、ジェローム・カルタンバック指揮下の東京ニューシティ管弦楽団。(2009.3.16 記)

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2009.4.9:「ワルキューレ」

卒業50周年記念のクラス会などの個人的な行事と重なり、いったんは諦めていたが、新国立劇場の舞台機構をフルに活用した 前回公演(2002年)のダイナミックで雄大な演出も忘れがたく、また今公演の歌手達にも強い 関心があったので、何とか都合をつけて、当日券で鑑賞した。初めて「ワルキューレ」を見る人には、誤解を与えてしまいそうな 奇抜な演出には、必ずしも賛同できないが、総体的には、なかなか素晴らしい公演で、このワグナーの名曲を堪能することができた。 しかし、第2幕の舞台は、殺風景に過ぎ、今回もやはりいまひとつ物足りなく感じたが、第3幕の後半、舞台上の野戦病院が そっくり奥にスライドして引っ込み、変わって写真のような巨大な馬がせりあがるシーンは、やはり迫力満点であった。 一方、歌手陣は、新国立劇場初登場の外人3人を含めて、なかなか立派な布陣であったが、主役級の6人が、全てカタカナ名であったのは、 少々残念であった。まず、先月の「ラインの黄金」で好演したヴォータン役のユッカ・ラジライネン(BsBr)及びフリッカ役の エレナ・ツィトコーワ(Ms)は、実力どおり、今公演でも見事な歌唱を披露した。ジークムント役の エンドリック・ヴォトリッヒ(T)も、力強い美声で好演であった。しかし、新国立劇場初登場のジークリンデ役の マルティーナ・セラフィン(S)及びブリュンヒルデやくのユディット・ネーメット(S)は、 声量的には、申し分なかったが、高音域の声の透明感などの点で10年ほど前にMETで聴いたヴォイト、イーグレンの域には今一歩と感じた。 また、フンディングを歌ったやはり新国立劇場初登場のクルト・リドル(Bs)は、 抜群の豊かな美声の持ち主ながら、癖のあるビブラートが多少気になった。 8人のワルキューレたちは、トップ級の 日本人歌手(高橋知子、増田のり子、大林智子、三輪陽子、平井香織、増田弥生、清水華澄、山下牧子) が歌ったが、さすがに見事なアンサンブルであった。なお、管弦楽は、ダン・エッティンガー指揮下の東フィル。(2009.4.10 記)

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2009.5.7:「ムツェンスク郡のマクベス夫人」

芸術作品の方向性が、政治的な圧力で捻じ曲げられることは許せないが、結果的には必ずしも作品が悪くなるとは限らない。たとえば ショスタコーヴィッチが、スターリンの意を体したプラウダ紙の批判を受けた後作曲したオラトリオ「森の歌」は、 当初の歌詞には問題ありとしても、 音楽的には、大変素晴らし、彼の代表作の一つとなっている。 この曲は、実演では一度しか聴いたことはないが、50-60年前にはラジオでもよく流されていた。 「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は、帝政時代のロシアを舞台にした19世紀の小説家ニコラス・レスコフの小説を原作としており、「鼻」に続くショスタコーヴィチのオペラ第2作である。 親族殺人が続く極度に暗いストーリーのオペラではあるが、20世紀オペラの傑作の一つとの評価を受けている。このオペラについては、2−3年前、青島広志氏の「二期会オペラ講座」で、プラウダ紙の批判を受けて後年に 改訂・改題され音楽もドラマもかなりソフトなった「カテリーナ・イズマイロヴァ」と対比した解説を聞き、興味を持ったので、ネット上で見つけた安価(\2,000弱)なDVD(EMI版)を購入するとともに、 新国立劇場の「情報センター」で1966年製作の映画版「カテリーナ・イズマイロヴァ」と聴き比べたこともあったが、こんなに早く新国立劇場で実演に接することが出来たのは大変うれしかった。 今公演は、キャストも良く、迫力十分の公演であった。まず、主役のカテリーナ・イズマイロヴァは、2年ほど前に「西部の娘」 でミニー役を好演したステファニー・フリーデ(米、S)が歌ったが、豊麗な美声と豊満な肢体をもつ彼女は、まさに適役であった。不倫相手のセルゲイ役を歌った 新国初登場のヴィクトール・ルトシュク(ウクライナ、T)も、豊かな美声を持つ長身の好男子であり、やはり適役であった。カテリーナの夫役ジノーヴィー・ イズマイロフ役の内山 信吾(T)及びイズマイロフ家の主人ボリス役のワレリー・アレクセイエフ(露、Bs)も歌、演技ともなかなかの好演であった。脇役陣も充実しており、特に司祭役の妻屋 秀和(Bs)、警察署長役の 初鹿野 剛(Br)が光っていた。(BR) 一方、欧州で絶賛されたというリチャード・ジョーンズ(英)の演出は、第1幕の間奏曲に乗せて、特殊な台車によって壁紙を張り、シャンデリアを吊りあげ、次場の寝室を組上げるところを観客に見せたり、 ボリスの亡霊が、レスリング中継をしていたテレビ画面に現れたりする意表をつく演出もあり、なかなか面白かったが、場の転換に際して、舞台を中央部で左右に分割するという手法(第1〜3幕)を多用したが、 奥行が不足気味であったこともあり、やや窮屈な感が拭えず、必ずしも成功とは言い難かった。なお、今公演の演出では、時代設定が帝政ロシアから1950年代のソヴィエトに置き換えられていた。 なお、このオペラの管弦楽は大編成であり、確かに刺激的な部分も多いが、重厚な響きは素晴らしく、プラウダ紙が「騒音、摩擦音、金属音の海」と酷評したことには納得しかねるが、スターリンの 倫理観には、荒々しい性描写を伴うこのオペラのストーリー/台詞が受け入れられなかったことは、理解できなくもない。ミハイル・シンケヴィチ(若杉弘新国芸術監督が体調不良のため指揮を交替)指揮下の東京交響楽団、 及び新国立劇場合唱団の響きも良かった。(2009.5.8 記)

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2009.5.15:「ポッペアの戴冠」

昨年の「ペレアスとメリザンド」に続く「コンサート・オペラ」の第2弾として、モンテヴェルディの傑作オペラ 「ポッペアの戴冠」 が中劇場で上演された。2002年10月に二期会創立50周年記念公演の一環として、今公演と同じ鈴木雅明指揮下のバッハ・コレギウム・ジャパン が管弦楽を担当して、このオペラが上演されたが、この時はキャストが「二期会ニューウェーブオペラ劇場」に所属する若手歌手だったこともあり、一部の歌手 には若干の不満が残った。今公演は、森 麻季をはじめ内外のトップ級の歌手を集めたキャストとリコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ等を含む 古楽器を用いたバッハ・コレギウム・ジャパンの名演のおかげで、理想に近い バロック音楽の世界を堪能することができた。 今回の舞台も、小編成のオーケストラはピット内に入り、歌手はきちんと舞台衣装を付けて舞台に上がり、動きは殆どなかったが 天界をイメージできる高所や階段など舞台各所でスポットライトを浴びて歌った。このため第2幕の終盤のポッペア暗殺未遂の場面などを除けば、ビデオで観たポネルの名演出とは 比較しようもないが、通常のオペラ上演に近い感覚を持つことができた。 しかし舞台奥に投影された字幕は、通常用いられる固定のものではなく、FLASH技法を活用して、 横書きで各歌手の立位置近くに出され、場面によって文字を傾斜させたり、フェードアウトさせたりしたのは面白かったが、肝心の文字の輝度が低かったため、 大変見にくかった。年令とともに視力の衰えを感じている筆者ではあるが、眼鏡のレンズを最近取替えたばかりであったにもかかわらず、大部分はオペラグラスに頼ってしまった。
一方、歌手陣では、中核のポッペアを歌った森 麻季(S)と、ネローネを歌った レイチェル・ニコルズ(S)の2人が特に素晴らしかった。森 麻季は、音域の広い透明な美声と抜群の歌唱力が活かされ、期待通り適役であった。 余談ながら、彼女は筆者が「i-Pod」に入れて繰り返し聴いている“お気に入り”歌手の1人であるが、出産間近の昨年7月のコンサート(オペラシティーホール)は大変素晴らしかった。 初めて聴いたレイチェル・ニコルズは、予想外に小柄な歌手であったが、特段に豊かな美声を持ち、歌唱力も素晴らしくなかなかの好演であった。DVD(ステファーノ・ランディのオペラ 「サンタレッシオ」)や宗教曲のCDにも登場しているオットーネ役のダミアン・ギヨン(カウンターテナー)も端正な歌を 聴かせ、好演であった。アルナルタを好演した上杉清仁もカウンターテナーであったが、プログラムで確認するまでは、アルト歌手かと思っていた。 このほかオッターヴィア役の波多野睦美、アモーレ/ドゥルジッラ役の松井亜希(S)、オッターヴィアの乳母役の山下牧子(Ms)、セネカ役の佐藤泰弘(Bs)、ヴィルトゥ/アモーレの合唱役の 野々下由香里(S)等も適材適所で好演であった。(2009.5.17 記)

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2009.6.10:「チェネレントラ」

ロッシーニが1817年に作曲した名作「チェネレントラ」 が新国立劇場では初めて上演された。数年前NHKでハイビジョン放映されたチューリッヒ歌劇場での「セヴィリアの理髪師」を録画して愛聴しているが、 今公演ではこのビデオでロジーナを好演しているカサロヴァが主演し、やはりビデオで親しんでいるポネルの名演出ということで大いに期待して出かけた。このオペラの ストーリーはガラスの靴が腕輪に変わったりの変更はあるものの童話の「シンデレラ物語」そのものであるため、大人向けにこれを面白く、感動的に見せるためには演出に 注目が集まる。たまたま、一週間前に「METライブ」で観た「チェネレントラ」は、哲学者アリドーロが翼を持った天使だったり、着替え部屋が天井から吊り降ろされ たりの新演出でなかなか面白かった。なお、再演演出は、新国でもおなじみのグリシャ・アサガロフが担当したが、動きの細部は別にして、故ジャン=ピエール・ポネル の原演出が忠実に再現された。壁面を巻き上げて断面を見せるドン・マニフィコ男爵邸の場面やリズミカルな伴奏に乗って巻いた赤じゅうたんを広げてゆく王子登場の場面 などは、やはり素晴らしかった。
歌手は、世界のロッシーニ歌いを集めたという主役陣は、やはり良かった。主役のアンジェリーナを歌った目玉の アンジェリーナ・カサロヴァ(Ms)は、期待通りふくよかで豊かな美声でローッシーニ独特の技巧的なアリアを見事に歌った。なお、最高音域での音色の急変がビデオ での声とかなり異なっており、少々意外であった。王子ドン・ラミーロを歌ったアントニーノ・シラグーザ(T)は、明るく伸びの ある美声で容姿も役にピッタリで、素晴らしかった。鳴り止まぬ拍手に応えてアリアの一部を再唱するという珍しい場面もあった。王子の従者ダンディーニ役の ロベルト・デ・カンディア(Br)及び姉妹の父親役のドン・マニフィコ役のブルーノ・デ・シモーネ(Bs)は、 母国語で歌う利点もあり、堂に入った歌・演技であった。哲学者アリドーロを歌ったギュンター・グロイスベック(Bs)は、重量感溢れる美声で存在感十分であった。 一方、長女クロリンダ役の幸田浩子(S)は、歌唱力、演技力は別にして、容姿も声も可愛過ぎ、意地悪姉さんにはとても見えず、ミスキャストとも思えた。次女テーズベ役 の清水華澄(Ms)は、新国オペラ研修所時代からその豊かな美声に注目していたが、まずまずの好演であった。
なお、今公演は3階の最後部席で聴いたため、字幕を見たり、オペラグラスを再々使ったりで忙しく、ドラマへの感情移入が希薄になる自分を発見するとともに、映画ではあるが、 字幕が自然に目に入り、歌手の些細な表情の変化も見て取れる「METライブ」の良さを再認識した。 管弦楽は、ディヴィッド・サイラス指揮下の東フィル。(2009.6.12 記)

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2009.6.26:「修禅寺物語」

今シーズン最後の演目として、日本オペラの傑作のひとつといわれる清水脩作曲の「修禅寺物語(全1幕3場)が中劇場で上演された。 鎌倉幕府第二代将軍源頼家と名人能面師夜叉王を主人公とした 岡本綺堂の原作(戯曲)は、丁度100年前に書かれ たもので、すでに著作権も消滅しており、ネット上の青空文庫で全文を 読むことが出来る。しかし、このオペラの初演は1954年であり、その後も滅多に上演されないため、筆者も今回始めて実演に接した。 来年度の「ヴォツェック」もそうだが、名作でありながらこれまでに取上げられていない内外の名作を新国立劇場で順次上演していただけるのは大変ありがたい。 今公演は、久しぶりにダブルキャストであり、AB両キャストとも聴きたい歌手が何人か入っており迷ったが、結局 頼家を村上が歌うBキャストの日を選んで出かけた。今公演は、歌舞伎界の大御所である坂田藤十郎が演出を担当することも大いに話題となった。 舞台は、写実的な伊豆の山間の質素な夜叉王の家を中心に進められた。 原作が、市川左團次のために書かれているだけに、 この物語は元来歌舞伎的である。第3幕の夜叉王の独白の場面などメリハリの利いた発声も演出家の指導の賜物であろうか。 特筆すべきは、このオペラは、字幕もあったが、日本語の歌詞が大変聞き取りやすかったため、ドラマと歌に集中できたことである。 なお、公演プログラム(作品解説)の中で片山杜秀氏は、”清水脩には、山田耕筰の「黒船-夜明け」は、日本語をあまりカンタービレに扱いすぎる と感じたらしい。彼は、日本語でオペラをやるなら、もっと語るように、レチタティーヴォに傾くように、狭い音程に執着して、節付けしていった方が よいのではないかという日本語作曲感を持っていた。”との指摘をしている。 一方、歌手陣は、脇役まで適材適所の実力者を配し、この名曲を十分に堪能させてくれた。 源頼家を歌った村上敏明(T)は、容姿が歌舞伎役者顔負けの公家姿で、まさに適役であった。声も勿論良かった。 夜叉王を歌った黒田博(Br)は、10年ほど前の「天主物語」でも好演したが、迫力ある美声と演技が大変素晴らしかった。 夜叉王の娘かつら(姉)役の小濱妙美(S)、かえで(妹)役の薗田真木子(S)はともに豊かな声でなかなかの好演であったが、欲を言えばもう少し声質の違う 姉妹であってほしかった。かえでの婿春彦役の経種廉彦(T)の良く通る美声も光っていた。 管弦楽(外山雄三指揮下の東京交響楽団)は、かなり編成が大きく、金管をピットの両翼に配したこともあり、なかなかよく響いたが、 もう少し抑えてほしい場面もあった。(2009.6.27 記)

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2009.7.11:「トスカ」

高校生のためのオペラ鑑賞教室の演目として今年度は 「トスカ」が選ばれた。ダブルキャストの 日本人出演歌手がいずれも魅力的であり、是非聴きたいと思っていたところ、昨年同様 残席がある場合には、一般客でも当日券が買えるとのメールを新国立劇場からもらったので 、ダメもとで新国立劇場まで出かけてみた。発売30分前にもかかわらず、すでに長蛇の列が出来ていたが、 幸い、4階席ながらチケットを入手することが出来た。 今公演は、アントネッロ・マダウ=ディアツの演出による2000年公演の再演であるが、重厚かつ豪華な装置を用い た正統的なもので、再度見てもやはり素晴らしかった。 歌手は、ABキャストとも日本のトップクラスの実力者を揃え充実したものであった。トスカを歌った大山亜紀子(S) は、声楽コンクールやコンサートで何度か聴いたことがあったが、声の豊かさが特に印象に残っていた。今公演でも 持ち味を生かして熱演であったが、更なる成長を期待したい。なお、大柄で目鼻立ちの整った容姿は、トスカそのもの であった。カヴァラドッシを歌った水口 聡(T)も、持ち前の強靭な美声を活かして好演であった。スカルピアを歌った 青山 貴(Br)の豊かな美声には、いつも魅了されているが、今公演でもこの悪役を見事に歌いきり、出色の出来であった。 この人に大コンクール入賞歴のないのが不思議なくらいである。アンジェロッティ役の谷友博(Br)その他の出演歌手も それぞれ好演であった。管弦楽は、沼尻竜典指揮下の東フィル。 なお、6回公演で合計1万人にも達する高校生が、オペラ鑑賞に来てくれたことは、大変うれしいが、 幕が上がり音楽が始まった後も観客席での私語のざわめきが止まないマナーの悪さには、辟易した。(2009.7.13 記)

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