オペラ「カルメル会修道女の対話」のあらすじ

第1幕

<第1場>1789年の4月のパリはフォルス侯爵の部の書斎。民衆によるバスチーユ監獄解放の3ヶ月前。侯爵の子息(騎士) が父親に妹ブランシュの馬車が街頭で暴徒に取り囲まれているとの噂を報告に来た。その後ブランシュが帰宅して一安心だったが、 彼女は街中での事件に気が高ぶり、父親に自分は都を離れたコンビエーニュの森にあるカルメル会修道院に入りたいとの決心を告げた。

<第2場>その数週間後、コンビエーニュの修道院の面会室で、ブランシュは老齢の修道院長に面接し、彼女からただ俗世を離れ た修道生活を憧れるだけでは無理であり、祈りと修業の厳しさを説いて聞かされる。しかし、ブラン シュは譲らず、願いが叶えば修道名を<キリスト臨終の苦しみ>とすると伝え、ようやく入会を認められるが、修道院長はブラン シュの思いにいささかの懸念を抱く。

<第3場>修道院の中の塔でブランシュは若い修道女コンスタンスと雑用に励んでいる。コンスタンスは陽気な性格で楽 しい話に打ち興じるが、病いが重い修道院長のことを思って叱りつけるブランシュに彼女は二人ともいつの日か若くして同じ日 に死ぬだろうと語る。

<第4場>死の床に横たわる修道院長の枕許にはマザー・マリーが付き添っている。人生の終りにある修道院長は修道女にあるまじき 程の不安に苛まれ、死の恐怖に脅かされながらもマザー・マリーにブランシュの面倒を見てくれるように頼む。ブランシュが入って くると修道院長は彼女を元気づけ、別れを告げる。死の苦悶の中で修道院長は修道院が略奪され破壊される様子を目の当たりにする 錯乱に襲われ、神を呪いさえする。その修道院長の死にブランシュは立ち会う。

第2幕

<第1場>礼拝堂の中央に修道院長の棺が安置されている。ブランシュは1人になった時、恐怖に捉われ、出て行こうとして、 マザー・マリーに見つかり叱責されるが、マリーは思い直して慰め、部屋に帰す。

<第1の幕間>修道院長の墓前でブランシュとコンスタンスが花飾りを編んでいる。コンスタンスは死について独特の考えを披露する。

<第2場>修道院の広間。新しい修道院長に任命されたのは貴族出身のマザー・マリーではなく、平民階級出身のマダム・リド ワーヌであった。修道院長は就任の挨拶で新しく厳しい時代を迎えても変わらぬ祈りによって、迫り来る危機を乗り越えようと語る。

<第2幕間>革命はまさに暴力的な支配を極端にまで押し進めようとしていた。ブランシュの兄の騎士は国外に亡命すべく妹 ブランシュをひそやかに訪ねた。リドワーヌ院長はマザー・マリーに二人の面会に立ち会うように指示する。

<第3場>面会室。騎士は暴力や圧政がキリスト教会や修道院にも及びつつある事態を妹に語り、修道院を立ち去り、父親の許 に帰るよう説得する。ブランシュはそれを拒み、騎士は別れを告げるが、彼女は気も動揺し、マザー・マリーによって慰められる。

<第4場>聖具室。司祭は、修道女にひそやかにミサを執りおこなっていたが、これが最後のミサだと告げ、自分は身分を隠して地下に潜って の活動を続けると言う。革命軍に属する市民たちが修道院に押し入り、司祭は姿をくらます。革命委員会の人民委員は修道女たちに信仰を捨て去る ことや修道院の施設設備の閉鎖や売却が決定されことを宣告し、破壊や暴行を加えて去って行く。修道院長は町に出かけて行く。

兼3幕

く第1場>滅茶滅茶に壊された礼拝堂に修道女たちが集まっている。町に出かけた院長に代ってマザー・マリーが彼女たちの 今後の行動について提案する。事の次第では全員が殉教するとの提案は、司祭の立ち会いで投票がおこなわれ、いったん 反対票を投じたコンスタンスもそれを撤回し、司祭に宣誓するが、ブランシュは突如として恐怖に襲われ、修道院からその姿を消してしまう。 <第1の幕間>3人の士官が登場し、修道院長及び修道女たちに修道院を立ち去り、共和国市民となること、宗教活動は禁止されることなど を告知する。修道院長は修道女にこのことを司祭に知らせるよう頼み、一方のマザー・マリーはブランシュに会おうとパリに出かけて行く。

<第2場>フォルス侯爵の書斎。掠奪され、荒れ果てた部屋は革命派の市民たちが占拠し、ブランシュは平民の服装でそこに住んでいる。 侯爵はすでに断頭台で首を刎ねられられていた。マザー・マリーがたずねて来て、他の修道女たちと一緒に殉教しようと言うがブランシュは それを拒む。ブランシュはコンビエーニュの修道女たちが逮捕され、やがてギロチンにかけられるとの噂を聞き、ショックを受ける。

く第3場>修道女たちは革命当時の監獄に投獄されている。修道院長は自分だけが責任を取ると語るが、立ち現われた獄吏は全員の名前 を読み上げいずれにも死刑を言い渡す。

<第3の幕間>マザー・マリーは街角で司祭に会い、修道女たちの死刑宣告を知る。彼女は自分も殉教しようと言うが、彼からこれも神の 御意思だと説得される。

<第4場>1794年7月17日。修道女たちは革命広場に送られ、断頭台上にひとり、またひとりと登って行き、修道院長を筆頭にいずれも聖歌 を歌いながら天に召されて行った。群集も静まりかえり、響くのは聖母マリア讃歌の歌声とそれを断ち切るギロチンの金属音のみであった。 最後のひとりはシスター・コンスタンスであったが、その彼女の前に立ち現われ、彼女に続いてまことの殿をつとめたのは、ほかならぬ ブランシュそのひとであったのだ。(公演プログラム「あらすじ」の抜粋)