(12) 2007/2008シーズン公演(最終更新日:2008.7.14)-------- (大部分の画像は、クリックすると大きくなります)

2007.10.17:「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」
2007.12.4:「カルメン」
2007.12.15:「後宮からの逃走」
2008.1.11:「美女と野獣」
2008.1.22:「ラ・ボエーム」
2008.1.25:「ナクソス島のアリアドネ」
2008.2.4:「サロメ」
2008.2.16:「妖精」
2008.2.22:「黒船」
2008.3.10:「アイーダ」
2008.3.13:「フィガロの結婚」
2008.3.14:「流刑地にて」
2008.4.15:「魔弾の射手」
2008.5.7:「軍人たち」
2008.5.24:「マーマレイドタウンとパールの森」
2008.6.28:「ペレアスとメリザンド」
2008.7.11:「椿姫」
2008.7.12:「美しいパースの娘」


2007.10.17:「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦

新国立劇場も今秋開場10周年を迎えるが、今シーズンから(オペラ部門の)芸術監督に就任した若杉 弘の第一作として、ワグナーの名曲のひとつ 「タンホイザー」が選ばれた。新国立劇場でははじめての上演であった。今年3月、東京文化会館で小澤征爾の指揮下で上演された「タンホイザー」では、本来は吟遊詩人である主人公が画家に設定され、歌合戦は絵画の競作となる奇抜な演出(ロバート・カーセン)で少々戸惑ったが、今公演では原作どおりの「歌合戦」であった。序曲の演奏開始とともに半透明の'板'を組合わせた巨大な柱が、順次せり上がり、舞台上を移動・整列したのを見て、新国立劇場の優れた舞台機構を活用した動きの大きな演出かと思ったが、その後は、第三幕まで特に大きな動きはなく、照明の変化を主体とした舞台づくりとなったが、バレエ・ダンサーによって表現された愛欲の女神ヴェーヌス(ヴィーナス)が住むヴェーヌスベルクは、特に寒色の照明下では、官能的とは言いがたく少々物足りない感もあった。
一方、今公演の演奏は、ワグナー歌いとして欧米で実績のある歌手を中核に揃え、フィリップ・オーギャン指揮下の東フィルの好演もあり、この名曲の素晴らしさを十分に堪能することができた。タンホイザーを歌ったアルベルト・ボンネマ(T)は、荒削りな面もあったが、力強く輝かしい美声の持主で好演であったが、ヴェーヌスを歌ったリンダ・ワトソン(S)は、過剰なほど豊麗な美人で、声量も豊かではあるが、声に潤いが乏しく、官能的な美声とは言いがたく、少々期待に反した。一方、エリーザベトを歌ったリカルダ・メルベート(S)は、やはり豊かな声量を持っているが、若々しくやわらかい美声を披露し、好演であった。ヴォルフラムを歌ったマーティン・ガントナー(Br)は、新国出演も3度目であったが、今回も抜群の歌唱力で大変素晴らしかった。このほか、領主へルマンを歌った新国出演4度目のハンス・チャーマー(Bs)、ヴァルターを歌ったリチャード・ブルンナー(T)、ピーテロフを歌った大島幾雄(Br)、牧童の吉原圭子(S)等の脇役も好演であった。(2007.10.18記)


目次に戻る


2007.10.18-27:「フィガロの結婚」

2007.12.4:「カルメン」

カルメンは、新国立劇場でも何回か上演されているが、新制作の今公演は、歌手、演出ともに良く、充分に名曲を楽しむことができた。 演出は、本年9月新国立劇場演劇芸術監督に就任した鵜山仁が担当した。舞台装置は、スペイン、セビリア下町の雰囲気が良く出ていた。舞台いっぱいの群集の 個々の動きも活発でなかなか良かった。第1幕の工事中の建物の骨格が全幕各場(セビリアの広場、リーリャス・パスティアの酒場、密輸團の野営地、 闘牛場前の広場)でうまく利用された。また、カルメンの衣装も場面ごとに黒、白と代わり、最後にはカルメンのイメージどおりの赤と黒でまとめ、場を盛り上げた。
一方、歌は、主役はもとより、脇役陣も主役級の実力者で固めたため、きわめて高い水準ものであった。主題役のカルメンは、当初予定されたマリーナ・ドマシェンコ に代わって、ヨーロッパを中心に活躍しているマドリッド生まれのマリア・ホセ・モンティエル(Ms)が歌ったが、豊かな美声と抜群の容姿で十分に楽しませてくれた。 ドン・ホセは、ユーゴ出身のゾラン・トドロヴィッチ(T)が歌ったが、やはり豊かな美声と力強い歌唱で、なかなか良かった。モスクワ生まれのアレクサンダー・ ヴィノグラードフ(Bs)が歌ったエスカミーリョは、声は重厚であったが、容姿も若々しく、やはり適役であった。ミカエラは、前回(2004年)同様大村博美(S)が歌った。 高音域の丸みのある美声は、素晴らしいが、今回も中低音域では声の透明感がもう少しほしいと思った。脇役陣の斉木健詞(スニガ)、星野淳(モラレス)、 今尾滋(ダンカイロ)、山下牧子(メルセデス)等皆良かったが、5年前「ポッペアの戴冠」でもセネカ役を好演した斉木の重厚でつややかな声が特に印象に残った。(2007.12.6 記)


目次に戻る


2007.12.14:「後宮からの逃走」

この「後宮からの逃走(誘拐)」 は、画期的なドイツ語によるジングシュピールであり、音楽的にも優れたもので、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」、「魔笛」とともに モーツアルトの五大オペラと呼ばれることもあるが、上演の機会は少なく、新国立劇場では初めての上演(東京室内歌劇場主催の中劇場での「貸し劇場公演」)であった。 しかし、当日は、京王電鉄の事故の影響もあったのか、客席に空席が目立ったのは残念であった。 今公演では、歌唱は原語、台詞は日本語というジングシュピールの上演に適した方式であったので、ストーリーもわかり易く、一部の歌手には多少の不満 も残ったが、総じて適材適所でモーツアルトの名曲を十分に楽しむことができた。 コンスタンツェを歌った出口正子(S)は、声のしなやかさ・透明感に多少のかげりが見えたが、コロラトゥーラの有名な2つの至難のアリアを見事に歌いきった。 ベルモンテを歌った行天祥晃(T)は、ビブラートがトレモロ気味に聞こえた場面もあったが、張りのある豊かな美声を駆使してなかなかの好演であった。 ペドリッロの高野二郎(T)は、歌も演技も上手く、やはり好演であった。ブロンデを歌った見角悠代(S)は、初めて聴いたが、細めながら軽やかに良く伸びる美声で、 歌唱力も素晴らしかった。また、オスミンを歌った山口俊彦(Bs)も、持前の深々とした声で存在感を示した。 一方、装置は、想像していた左の写真のようなものではなく、全幕を通して窓をもったアラブ風の壁面ブロックを角度を変えて配置したシンプルなものであったが、それらしい 雰囲気は一応出ていた。できれば、特に第三幕では、もう少し高さがほしかった。 衣装は、余り凝ったものではなかったことは別にしても、アラブ風の衣装の人達に混じって、変装したスペイン貴族であるベルモンテが現代的な背広姿 であったのには、やはり違和感を持った。なお、管弦楽は、大勝秀也指揮下の東京室内歌劇場管弦楽団。(2007.12.16 記)



2008.1.11:「美女と野獣」

フランスの民話に基づいた「美女と野獣」は、映画やミュージカルでヒットした名作であるが、 水野修孝 作曲のこのオペラの台本は、大久保昌一良によって、ドラマの舞台を安土桃山時代の日本に設定して、翻案されたものである。野獣の愛する花は、 ストーリーの展開上重要な役割を持つが、これも原作のバラからユウスゲ(ユリ科の多年草、 別名:キスゲ)に変えられている。今回は、1989年の初演以来3度目の上演となったが、ストーリーや音楽自身にもかなりの改訂が 施された模様である。なお、日本オペラ振興会主催の今公演は、文化庁芸術活動重点支援事業/都民芸術フェスティバル助成の 「貸し劇場公演」である。 水野修孝作曲のオペラとしては、1999年2月に新国立劇場で公演された「天守物語」 が強く印象に残っている反面、2003年6月に新宿文化センターで観た「美女と野獣」は、主役の2人(大貫裕子、柴山昌宣)が好演 したこと以外は、何故か余り印象に残っていなかった。今回は、前回公演のプログラムをよく読んで出かけたが、歌手、演出 ともに良く、前回以上に楽しむことができた。ミュージカル的な出だし、ジャズ的なパーカッション、ムード音楽的なストリングスと多彩な 音楽である一方、主役の絹には、たっぷりと叙情的なアリアを歌わせている。また、「天守物語」でも強く感じたが、日本語の歌詞が 大変聞き取りやすかった(字幕もあった)。 岩田達宗の演出は、豪華絢爛な安土桃山時代を象徴するように金、赤、黒を基調とした装置及び衣装が大変見事で、照明の使い方も 巧く、目を楽しませてもらった。 歌手も脇役にいたるまで充実していた。主役の絹を歌った斉田正子(S)は、昨秋のオペレッタ「ザ・芸者」の芸者頭役でも好演であったが、今公演 でも持前の甘く、豊麗な美声が活かされ、清楚な容姿と相俟って大変素晴らしかった。本来は城主と言う野獣役の三浦克次(Br)は、風格十分ではあったが、 歌では、メフィスト役の大久保真(Br)の迫力に押され気味であった。紅屋の中村靖(Br)は、歌も容姿も役にぴったりであった。くれない(橋爪明子)、 むらさき(庄智子)姉妹も派手な動きもあり、脇役ながら目立ったが、特に庄智子(S)の歯切れの良い歌唱と美声が印象に残った。 管弦楽は、三石精一指揮下の東京ユニバーサル・フィルハーモニック管弦楽団。(2008.1.12)


目次に戻る

2008.1.22:「ラ・ボエーム」

今年は、プッチーニ生誕150年周年にあたるため、彼の作品上演も例年以上に多くなるものと思われる。 新国立劇場でも2,003年及び2004年に次ぐ3度目の公演であるが、今回の「ラ・ボエーム」は、めずらしく日本人 歌手中心によるシングル・キャスト公演であり、「お気に入り」の歌手が何人か出演するので、期待して出かけた。 演出(粟国 淳)は、基本的には前回公演と変らず、正攻法の演出で総体的 には良かったが、第1幕及び第4幕のパリのアパートの屋根裏部屋が、薄汚いのよいとして、傾斜した天窓を除いて パリの雰囲気というより、なにか昔の日本の百姓家の土間のように見えたこと、第2幕のカルティエ・ラタンは、それら しい雰囲気が良く出ていたが、建物を無闇に動かし過ぎたのではないかと言う感想も前回どおりである。 歌手は、マルチェッロとミミ以外はすべて日本人であったが、いずれもトップクラスの歌手だけにきわめて水準の高い 演奏であった。また、ひげや長髪によるメーキャップの効果もあり、容姿もパリの住人に見えなくもなかった。 ミミは、スペイン出身の マリア・バーヨ(S)が歌ったが、小柄な身体にもかかわらず、透明で豊麗な声を持ち、好演であった。 ロドルフォを歌った佐野成宏(T)も、持前のやわらかい美声と抜群の歌唱力を駆使して好演であったが、名アリア「冷たい手を」 での"ハイC"は、席が悪かったこともあり、オケの音にかき消され気味であった。 マルチェッロは、当初予定されたヴィットリオ・ヴィッテリに替わってイタリア出身の ドメニコ・バルザーニ(Br)が歌ったが、この人も小柄ながら大変豊かな声量と美声を持ち、好演であった。 ムゼッタの塩田美奈子(S)もまずまずの好演であった。しかし、ミミとムゼッタの組合せは、強く印象に残る前回の大岩千穂、サイ・イエングアン の名唱には及ばなかった。ショナールの宮本益光(Br)、コッリーネの妻屋秀和(Bs)、ベノアの鹿野由之(Bs)、アルチンドロ の初鹿野剛(Br)も歌唱、演技とも申し分なかった。管弦楽は、マウリツィオ・バルバチーニ指揮下の東響。
余談ながら、先日、早稲田大学で行われた講演会で、新国立劇場の若杉芸術監督から、最近の日本人歌手の力は十分に高いにもかかわらず、 出演歌手の上から4人がカタカ名だとチケットの売行きが格段に良いとの話があったが、最近発表された次シーズン (2008/2009)の新国公演ラインアップでも相変わらず圧倒的にカタカナ名が多いのは少々意外でもあり、残念でもある。(2008.1.22記)

目次に戻る

2008.1.25:「ナクソス島のアリアドネ」

第3回目の「新国立劇場地域招聘公演」として、今シーズンは西日本最大の声楽家集団である 「関西二期会」が招聘され、 新国立劇場としては2回目のナクソス島のアリアドネ」が上演(中劇場で、ドイツ語/字幕付)された。この R.シュトラウスの珠玉の名作は、<楽屋落ち>の序幕と劇中劇のオペラ部からなり、管弦楽も小編成ながらピアノ、チェレスタ、ハルモニウム を加えたユニークなものである。新国立劇場でも5年程前に新国と東京二期会との共同主催で上演されているが、40年以上の歴史を誇る「関西二期会」 の歌手の実力には大いに関心があり、期待して出かけた。 今公演の出演歌手は、国内の大声楽コンクールでの入賞・入選者も多く、関西では著名な歌手ばかりだとは思うが、東京での活動が少ないこともあり、 2000年の「日本音楽コンクール(本選)」で聴いたことのある福原寿美枝以外は、初めて聴く人達であったが、さすがに総体的には 水準の高い演奏であった。序幕では、音楽教師を歌った萩原寛明(Br)及び作曲家を歌った福原寿美枝(A)が声、歌唱力ともに素晴らしかった。 オペラの部でアリアドネを歌った畑田弘美(S)は、高音域の声に多少の艶不足を感じたが、存在感十分でバッカスとの2重唱はなかなか 良かった。ツェルビネッタを歌った日紫喜恵美(S)は、逆に高音域の声が見事であった。バッカスを歌った竹田昌弘(T)は、 京大大学院卒という変り種であるが、声の力強さには驚かされた。機会があればワグナーものを聴いてみたい。 ニンフの3人組(ナヤーデ:高嶋優羽、ドリアーデ:山田愛子、エコー:森原明日香)もよかったが、特に山田愛子(A)のふくよかな美声が耳に残った。 一方、松本重孝演出による今公演の舞台(装置:荒田 良)は、前回の新国公演やビデオで持っているMET公演のものよりも見事であった。質感十分の円柱 で飾られた序幕のウィーンの富豪の邸宅も良かったが、終盤のナクソス島の岩屋が左右に広がり、満点の星が輝く場面は、圧巻であった。 出演者の衣装(八重田 喜美子)も色鮮やかで目を楽しませてくれた。管弦楽は、飯森泰次郎指揮下の関西フィルハーモニー管弦楽団。 (2008.1.27記)

目次に戻る


2008.2.3:「サロメ」

R.シュトラウスは好きな作曲家の1人であるが、この「サロメ」は、異様なストーリーのせいもあり、余り好きになれず、 新国立劇場での初回(2000年)の公演をみただけで、その後の2回の再演(2002年、2004年)には出かけなかった。 今回は、主題役のルシャコワに関心があり、8年ぶりにこのオペラの実演に接した。 今公演の演出(再演演出:三浦安浩)は、故アウグスト・エファーディングによる完成度の高い演出をベースにしているので、 基本的には2000年4月公演のものと同じであった。舞台中央に据えられた巨大な古井戸は重厚で、長い2本の鎖を利用した 蓋の開閉も迫力満点であった。美術・衣裳(ヨルク・ツィンマーマン)もバイエルン州立歌劇場のをそのまま使用している とのことで、きらびやかなものであったが、踊りの場面との対比を狙ったのかもしれないが、サロメ1人が喪服のような真っ黒な 衣装で登場したのには、少々違和感を持った。
一方、演奏は、脇役にいたるまで実力者の歌手で固められ、トーマス・レスナー指揮下の大編成の東京交響楽団 の力演と相俟って、緊迫感が持続し、感動的な素晴らしい演奏であった。 サロメを歌ったロシア出身のナターリア・ウシャコワ(S)は、 祖父母のすすめで工業大学(物理学)卒業しながら、歌手になる夢 かなえるためサンクトペテルブルグの音楽院に入り、マリインスキー劇場で今をときめくアンナ・ネトレプコと掃除のアルバイトを しながら一緒に学んだとのことであるが、総合的にはネトレプコには及ばないものの声、歌唱力ともなかなか素晴らしかった。 王ヘロデを歌ったヴォルフガング・シュミット(T)は、過度のビブラートが気になる場面もあったが、声もよく適役であった。 その妻ヘロディアスの小山由美(Ms)も、さすがに存在感十分の歌唱であった。預言者ヨハナーンを歌ったジョン・ヴェーグナー(Br) は、際立って豊かで重厚な声、優れた歌唱力をもち、風貌(メーキャップ)もいかにもそれらしく、迫力十分であった。 水口聡(ナラポート)、山下牧子(小姓)、青戸知(ナザレ人)等の大物歌手を配した脇役陣も充実していた。(2008.2.4記)

目次に戻る

2008.2.16:「妖精」

東京オペラ・プロデュース第81回定期公演(平成19年度文化庁芸術創造活動重点支援事業)として、 ワグナーの20歳頃の処女作オペラ「妖精」が中劇場で上演(貸し劇場公演)された。 今公演が日本初演であることもあり、初めてこのオペラに接することができた。 「妖精」は、 カルロ・ゴッツィの原作「蛇女」に基づき作曲者自身が台本を書いている。 このオペラでは、ワグナーが「ニーベルングの指環」で活用したライトモチーフという手法の片鱗が既にみられることが曲目解説等では特筆されているが、 妖精と人間の結婚とか兄弟愛を取入れた台本が、晩年の作品と多くの共通点を持っていることにむしろ驚いた。 音楽的にもワグナーが一時ベッリーニにあこがれていた影響か、派手やかな部分もあり、第2幕のゲルノート(秋山) とドロッラ(羽山)の痴話喧嘩的なコミカルナ2重唱は、まるでモーツアルトのオペラ・ブッフォの一節のようでもあり、2人の好演と相俟ってなかなか楽しかった。 ここ10年程は、東京オペラ・プロデュースの公演の大半を観ているが、初演ものや珍しいオペラを上演してくれて、大変ありがたい。 なお、ワグナーの「妖精」の「物語の背景」 および「魔女の動機」については、ネット上でも優れた論文に接することができる。
演奏は、冒頭の2人の妖精の2重唱(ツェミーナ:工藤志州、ファルツァーナ:高橋華子)がまず良かった。 主役のアリンダル王子を歌った羽山晃生(T)は、多少力が入り過ぎたのか、高音部がややつまり気味の場面もあったが、 持前の豊かな美声といかにも王子らしい容姿で、まさに適役であった。妖精アーダは、福田玲子(S)が歌ったが、 声は大変豊かで高音もきれいに伸びるが、声質等からみてかならずしも適役とは思えなかった。マクベス夫人やトゥーランドット 姫のような役でまた聴いてみたい。王子の妹ローラ役の鈴木慶江(S)、その恋人モラルト役の大田直樹(Br)、ローラの次女ドロッラ役の 羽山弘子(S)、狩人ゲルノートの秋山隆典(Br)はそれぞれ実力を発揮して好演であった。 松尾洋&八木清市の演出も良かった。ドライアイスを使った冒頭の妖精の国の場面は簡潔ながらそれらしい雰囲気が良く出ていたし、 その後の場面も周り舞台とともに、側面の大スクリーンを活用して、王宮や洞穴の場面を見事に現出させた。
管弦楽は、マルコ・ティット指揮下の東京ユニバーサル・フィル。 (2008.2.17 記)

目次に戻る

2008.2.22:「黒船ー夜明け)」

新国立劇場では、「天守物語(1999年)、「夕鶴(2000年)」のような既存の名作或いは「建・TAKERU(1997年)」、 「光(2003年)」、「おさん(2005年)」、「愛怨(2006年)」等の日本の新作オペラを毎年1曲づつ上演して きたが、今年は若杉芸術監督の意向もあり、原点に帰り、日本の第1号のグランド・オペラである 山田耕筰 作曲の「黒船ー夜明け」が取り上げられた。 米人パースィー・ノエルの台本(The Black Ships)によるこのオペラは、当初シカゴで初演される予定で作曲が進め られていたが、この話が諸情勢から立ち消えとなったため、「序景」完成後約10年間中断し、1939年に作曲者 自身の邦訳・加筆による台本をもとに作曲が再開され、1940年に「夜明け」と改題して東京で序景抜きで初演された。 今回、「序景」を含む完全な形の歴史的な上演に接することができたのは幸いであり、若杉芸術監督自身が指揮し、歌唱監修に長老の 畑中良輔を起用した万全の体制下での演奏も素晴らしく、大変感動した。 なお、「序景(約25分)」は、通常のオペラの序曲とは違い、黒船来航以前の泰平の世の情景を表現するため、 物語の筋とは余り関係なく、伊豆下田の夏祭りの夜を民謡風の歌と踊りで描いたものである。一方、「黒船」の第1幕から 第3幕までは、有名な唐人お吉の恋物語を題材にしている。 山田耕筰は、ドイツ留学時に弟子入りを希望した程、R.シュトラウスに傾倒していたとのことであるが、 このオペラは は、やはり徹底した「山田節」であり、心地良い音楽の連続であった。アリアも、あたかも「リゴレット」の”女心の歌” のように、終演直後から巷間で人々が口ずさんだとの逸話が残っている、お吉の「ねえさん教えてくださいな----」 や藤原義江を頭において作曲したという領事役にも、いくつかの名アリアがあり、第3幕では、'ハイC’まで要求している。 管弦楽は、拡張ピットいっぱいの大編成ものであったが、虚無僧の吹く尺八(三橋貴風)もなかなか効果的に取り入れられている。 歌手も強力な布陣であった。「序景」では、合唱のソリストに起用された福井敬(T)が、素晴らしい盆唄/舟歌を聴かせて くれた。お吉を歌った釜洞祐子(S)は、2年前の「愛怨」の場合同様、 気品に溢れ、適役であった。領事役の村上敏明(T)は、個人的に最も期待しているテノールであるが、持味の引締まった 美声が活かされ、大変好演であった。素顔は、光源氏がピッタリの'お公家顔’であるが、ヒゲを生やし、立派な米人にもなっていた。 バリトンは、原田圭(序景:第2の幕吏)、星野淳(吉田)、大島幾雄(伊佐新次郎)、谷友博(町奉行)及び青山貴(第2の浪人)と言う 豪華版で皆好演であったが、地味な役ながら大島幾雄の歌唱がひときわ光っていた。また、脇役ながら第1の浪人役の 土崎譲(T)も大器の片鱗を見せた。なお、日本語ながら歌詞が聞き取りにくい場面もあったので、今公演が字幕付きで行われた のは、正解であった。
一方、今回が3回目と言う栗山昌良の演出は、重厚かつ正統的で大変素晴らしかった。序景の祭りの場面では、踊る民衆の背後に 提灯を矢車状に配列したような大きな輪を3個配置したのが秀逸であり、第1幕では、舞台中央奥に松の巨木を、右方になまこ壁のブロック を複数配置したのが、バランスも良くなかなか見応えがあった。(2008.2.24 記)

目次に戻る

2008.3.10:「アイーダ」

鬼才フランコ・ゼッフィレッリの演出の「アイーダ」は、1998年の1新国立劇場柿落し公演以来今回で3度目となるが、前回(2003年9月) 初めて観た豪華絢爛な舞台が忘れられず、5年振りに再度出かけることとした。 3階のサイドの余り良い席ではなかったが、やはり、ゼッフィレッリによる究極的とさえいえる 演出(再演演出:粟國 淳)、装置及び衣装は素晴らしく、最高レベルのキャストと相俟って、この名曲の名演を堪能することができた。 今回は、最近オペラグラスとして使っている小型望遠鏡で装置を観察したが、巨大で重厚な柱や壁面に描かれているヒエログリフの見事 さにも改めて感心した。 当日(初日)は、記録用のTV撮影も行われていたようであったが、過去の「トスカ」、「ノルマ」、「ドン・カルロ」など新国立劇場の公演 のいくつかのオペラ同様、この素晴らしい公演も是非NHKのHi-vision TVで放映してくれると、録画して保存できるのでありがたい。
題名役は前回、前々回と同じノルマ・ファンティーニ(S)が歌ったが、今回も豊かな美声は健在であり、100回を超えるアイーダ役出演の経験も活かされ、好演であった。ラダメスを歌った マルコ・ベルティ(T)は、新国初登場であり、はじめて聴いたが、強靭で華麗な美声が素晴らしかった。アムネリスはやはり新国初登場の マリアンナ・タラソワ(Ms)が歌ったが、声、歌唱力、容姿とも非の打ちどころのない素晴らしい歌手であった。また、3人の声のバランスも良かった。アモナズロを歌った堀内康雄(Br)も、声、歌唱力とも前記の3人に負けず、素晴らし かった。ランフィス役のアルチェン・コチニアン及びエジプト国王役の斉木健詞の2人のバスも立派な声を持ち、適役であった。 第2幕題2場のバレエのソリスト(上山千奈、小林洋壱)も良かった。管弦楽は、リッカルド・フリッツァ指揮下の東京交響楽団。 (2008.3.11 記)

目次に戻る

2008.3.13:「フィガロの結婚」

恒例の新国立劇場オペラ研修所公演として「フィガロの結婚」が、中劇場で上演された。 このオペラ研修所からは、井上ゆかり、林美智子、山本美樹、青山貴、増田弥生、清水華澄、与那城敬など内外の大きな 声楽コンクールで優勝あるいは入賞し、活躍中の歌手が多く輩出しており、今後も期待が持たれるので、同研修所のオペラ 公演やリサイタル(試演会)には、都合のつく限り出かけるようにしている。 今公演は、第8期から第10期の研修生に若干名のOBを賛助出演者として迎えて上演された。
歌手は、少ない人数の中から選ぶので必ずしも適材適所とは言えなかったが、正統的で美しい舞台装置と コミカルナ演技もなかなかで、十分に楽しませてもらった。まず、題名役のフィガロを歌った森雅史(Bs、第8期生) が良かった。以前から美声のバスとして期待していたが、声が明るいので通常はバリトンが歌うこの役にぴったりであった。 ジェルモンやトニオは無理かもしれないが、押し出しも立派なので活躍の場の少ないバスとしてではなく、むしろ (バス)バリトンとして活躍してもらえればとも思った。 伯爵を歌った岡昭宏(Br、10期生)は、初めて聞いたが、声・歌唱力とも素晴らしく、今後の活躍に期待したい。 スザンナは山口清子(S、9期生)が歌ったが、歌唱力はともかく、やや声量・声質の関係もあってか響き に多少の不満が残った。伯爵夫人を歌った中村真紀(S、10期生)は、声量も豊かで容姿も舞台栄えするが、声の透明感が今一に感じた。 ケルビーノは第1期生として10年ほど前に初めて聴いた時の期待通り大成した林美智子(Ms、賛助出演)が歌ったが、 この役は彼女のはまり役のひとつであるだけに、抜群の歌唱・演技であった。 バルトロ役の北川辰彦(Br)、マルチェッリーナ(Ms)のOBコンビは、さすがに歌唱・演技とも立派で存在感十分であった。 その他の脇役陣では、バルバリーナ役の前嶋のぞみ(S、第8期生)が、細めながら素直な美声と優れた歌唱でよかった。 できれば、スザンナで聴きたかった。
一方、廉価な研修公演でもあるので、舞台装置には、余り期待していなかったが、飯塚励生の演出による舞台、 特に第3幕、第4幕は大変美しく、目を楽しませてくれた。また、序曲とともに舞台裏の動きが始まり、 第1幕でケルビーノが隠れるのが、ソファーではなくカバーのかかったピアノとした新機軸も面白かった。 3年前に大劇場での本公演で見た、白い段ボールだけの殺風景なアンドレアス・ホモキの舞台よりはるかに良かった。 アリ・ペルト指揮下のトウキョウ・モーツアルトプレーヤーズの控えめながら軽やかな演奏も印象的であった。(2008.3.14 記)

目次に戻る

2008.3.14:「流刑地にて」

東京室内歌劇場主催の「貸し劇場公演(119回定期公演、文化庁芸術創造活動重点試演事業)」として、 第1部で、「カフカ・プラス〜流刑地への空想旅行」と題してシューマン、シューベルト、ブラームスの歌曲とともに、 クルターク作曲/カフカ作詞の<ソプラノとヴァイオリンのためのカフカ断章>Op.24よりの5曲が、ソプラノ: 星川美保子、ヴァイオリン:山田百子等によって演奏された。
第2部として、原作:フランツ・カフカ、台本:ルドルフ・ワーリッツァー 、ミニマル・ミュージックの旗手といわれるF.グラス作曲のオペラ「流刑地にて」が小劇場で上演(英語)された。 このオペラは、2000年に世界初演されたばかりのまさに現代オペラであり、勿論今回が日本初演であった。 原作者のフランツ・カフカについては、50年も前の学生時代に、朝起きたら自分が巨大な虫になっていたと言う、奇妙なストーリーの小説「変身」を読んだことがあるだけで、このオペラの原作「流刑地にて (In der Strafkolonie、In the penal colony)」については、全く知識が無く、フィリップ・グラスによってオペラ化されていることも勿論知らなかった。 ネット上で原作の全訳も公開されているので、 読んでみたが、死刑執行のための残酷な新式装置についての話であり、映像化、オペラ化などは困難かと思えた。 多分、数年前に観たブルーノ・マデルナの「サテゥリオン」のような難解なオペラかと思いながら出かけたが、原作の意図は 別として、音楽面に限定すれば、久し振りに出会った感動的な初演オペラであった。 歌手は、旅行者と士官の2人だけという、まさに室内オペラであるが、音程や和声を執拗に反復させる オスティナート技法 を駆使した弦楽五重奏の演奏は、5弦コントラバスの効果もあり、すこぶる重厚で和太鼓の連打にも似た説得力があった。 ストーリーの進行は、主題の新式死刑執行装置について旅人と士官の間で狂言のように問答をしながら進行するが、 歌唱自身は特に前衛的ではなく、結構声の聞かせどころがあった。 旅行者を歌った経種廉彦(T)は力強く、士官を歌った青戸知(Br)は緩急自在に歌い、いずれも強靭な美声が活かされ素晴らしかった。 中川賢一指揮下のクァルテット・エクセルシオ & 山本修の五重奏も熱演で迫力満点であった。
一方、舞台は、背面に横長の大スクリーンが設けられ、演奏中の弦楽器のアップが映し出された。スクリーンの前の中段には手摺のあるブリッジが設けられ、 さらに下段(床面)中央部のピットには、五重奏団員が収まり、その周りには半透明のフード付きの十数体のレインウェアが 人型に設置されていた。さらに、演出の三浦基は同じレインウェアを着た「彼」なる無言の役を"捏造"し、舞台上を歩かせた。 また、ピットの上部では運命を占うクリスタルボールを暗示するような大きなガラス球が、振り子運動を断続的に続けた。肝心の新式死刑執行装置は、 さすがに現しようがないのかと思っていたが、最後に舞台天井部から死刑執行装置の一部に擬したライトバトンがいきなり降下し、士官を殺してしまう 演出は、意外性もあり、迫力満点であった。しかし、床面に固定された人型のレインウェアは具象的に過ぎ、何か違和感があった。むしろ岩とか 抽象的な物体の方が、情景にマッチしていたように感じた。 (2008.3.16 記)

目次に戻る


2008.4.15:「魔弾の射手」

「魔弾の射手」は、ドイツ語で歌われ、舞台も当時のドイツ領であったボヘミアに設定されており、オペラにおけるドイツロマン主義 を確立した記念碑的作品といわれている名作である。ドイツでは、「魔笛」、「フィデリオ」と共に3大 ジングシュピール といわれ、大変ポピュラーな作品とのことであるが、わが国では、序曲や「狩人の合唱」など有名な曲が多く入っている割には、 上演の機会は比較的少なく、筆者も演奏会方式の上演は別にして、本格的なオペラ上演には今回初めて接した。 このため、今公演には大きな期待を持って出かけたが、歌手、演出とも大変素晴らしく、大満足であった。 演出のマティアス・フォン・シュテークマンは、新国立劇場でもこれまでに「ジークフリートの冒険(2005年)」及び「さまよえるオランダ人(2007年)」で 大いに楽しませてくれたが、このオペラでもオペラパレスの舞台機構をフルに活用し、動きのある大変素晴らしい舞台を 作ってくれた。まず、第1幕では数十センチ幅の細長いプレートをつなげた変幻自在の「壁」で森を象徴すると共に他の場面でも この壁が巧みに活用された。また、演出家の腕の見せ所である第2幕の「狼谷」での魔弾鋳造の場面では、奥行きを深くとった 魑魅魍魎の世界もそれらしい雰囲気が良くでていたが、魔弾が一発できるごとに起きる超現実的な光景も、眼を見張るものがあった。
一方、歌手の中心は、欧州からの4人であったが、脇を固めた日本人歌手も活躍し、水準の高いものであった。 まず、マックスを歌ったアルフォンス・エーベルツ(T)は、際立って豊かな美声の持主である。もっとうまく歌うテノールは 数多くいると思うが、これだけの声はなかなか聴けない。是非、彼のジークムントやジークフリートを聴いてみたいと思った。 カスパール役のビヤーニ・トール・クリスティンソン(Bs)は、多少くすんだ声ながら豊かな声を持ち、歌も芝居も上手く適役であった。 エンヒェンを歌ったユリア・バウアー(S)は、やや細めの声ながら、抜群の歌唱力、声の透明感を持ち、演技(特に表情)も素晴らしかった。    アガーテを歌ったエディット・ハッラー(S)は、丸みのある豊かな声を持ち、なかなかの好演であった。この2人、容姿のよいところは共通しているが、 声質の違いが丁度良いバランスであった。以上の新国立劇場初登場の外人4人が中心でドラマは進行したが、第3幕では、オットカール 侯爵の大島幾雄(Br)が舞台を引き締め、隠者役の妻屋秀和(Bs)が何時ものごとく圧倒的な存在感を示した。 このほかキリアン役の山下浩司(Br)も豊かな声を武器に熱演した。花嫁に付き添う4人の乙女(鈴木愛美、田島千愛、高橋絵理、中村真紀) は可愛い衣装も同じで区別し難かったが、皆歌上手であった。
管弦楽は、ダン・エッティンガー指揮下の東フィル。三澤洋史指揮下の新国合唱団もいつものことながら素晴らしかった。(2008.4.16 記)

目次に戻る


2008.5.7:「軍人たち」

ツインマーマン作曲のこのオペラは、一般には、「20世紀オペラの傑作であり、総合芸術としてのオペラを考える上で、 重要かつ上演困難な作品としても有名」との評価が確立している一方、「楽しみをオペラに求めるとすれば、このオペラ の存在意義は無い」と言う人がおり、評価が分かれている。また、「好きにはなれないが、圧倒された」と評した演出家 がいたが、初めて実演に接した筆者もこれに近い感想を持った。 今公演は、演奏会形式(若杉弘:1999年)を除くと日本初演であるが、今回のような完全な形で上演されることは、 わが国では今後当分考えられない。この歴史的な公演に接することができたのは、大変幸運でもあった。 たまたま我家にTV放映を録画した1989年のシュトゥットガルト国立歌劇場公演のビデオ(英国版のDVDも販売されている) があったので、「予習」のため繰返し聴いてからでかけた。 このオペラは、その初稿が、余りにも膨大な楽器編成や複雑な舞台構成のため、ケルン歌劇場から上演不可能とつき返され、 作曲者自身による演奏会用の短縮版上演を経て数年後にようやく日の目をみたといういわく付の難曲である。 演奏面では、100人を超える大編成のオーケストラに数名のジャズ・コンボが加わり、また、作曲家自身の指定 に基づいて、客席後方に多数のスピーカーが特設され、民族音楽、各国語による軍隊の命令の声、女性の絶叫や行進する軍靴 の音など様々な「音」が、譜面に従って流された。 ツインマーマンは、 「音楽における コラージュの大家」ともいわれているようであるが、余り意識していなかったこともあり、残念ながらバッハ等の 引用部分には気付かなかった。 ストーリーは、ドイツの劇作家ヤーコブ・レンツの戯曲に基づいたもので、小間物商人の娘マリーが道を踏みはずし乞食へと転落してゆく過程 で殺人事件も絡む陰惨なものである。 今公演の演出は、ネット上でも 紹介されている2003年5月のアムステルダム、ナショナル・テアター公演での実績をもつウィリー・デッカーが担当しているが、 彼の演出は、ビデオで観たハリー・クプファーの演出とは大きく異なり、相当に抽象化されており、舞台中央部に 横長の黒い箱のような別舞台が設けられ、ある場面ではこれを傾けて、ドラマはほとんどこの中で進行した。 また、場面転換は、クプファー演出のように当初から多重舞台をセットするのではなく、いったん黒幕を下ろして進行した ため、舞台はすっきりして見やすい利点はあったが、音楽が途切れるとともに、大勢の登場人物の退場するノイズも多少気になった。 また、多くの場面で人物が赤や黄色の同じ衣装 をつけて登場したため、ストーリーの理解に多少戸惑いが生じるとともに、視覚的にも余り楽しいものではなかった。 個人的には、赤の場合も原色ではなく、エンジ色にするとか、濃淡をつけるとか一工夫ほしいと思った。
一方、歌手は、筆者の「お気に入り」のマリー役のヴィクトリア・ルキアネッツ(S)、その姉シャルロッテ役の山下牧子(Ms) をはじめ、デポルト役のピーター・ホーレ(T)、シュトルツィウス役のクラウディオ・オテッリ(Br)、ヴェーゼナー役の 鹿野由之(Bs)、ラ・ロッシュ伯爵夫人役の森山京子(Ms)、マリ大尉役の黒田博(Br)ほか選抜された内外の一流歌手だけに 皆素晴らしい声と歌唱力をもち、この難曲を十分に歌いこなしていた。このオペラには、アリア的なものはほとんど無いが、 音の飛躍の多い歌唱の掛け合いは、スリリングで心地良く響いた。 また、このオペラを上演するために新国立劇場の芸術監督を引き受けたともいわれる若杉弘指揮下の東フィルも熱演であった。(2008.5.8 記)

目次に戻る


2008.5.24:「マーマレイドタウンとパールの森」

国立オペラカンパニー 青いサカナ団 第28回公演として神田慶一の10作目のオペラ 「マーマレイドタウンとパールの森」が、小劇場で上演された。 近年、わが国では多くの創作オペラが発表されているが、初演された後再演されることも無く 消えてゆくオペラが多い。著名な演出家K氏の言葉を借りれば「死屍累々」ということになる。 このオペラの作曲者神田慶一は、多彩な才能の持主で、オペラの台本、作曲、指揮、演出を 1人でこなしてしまう。「僕は見た、こんな満開の桜の樹の下で」など再演されたものもあり、 オペラ作曲家として一定の人気を保っている。
今公演のオペラは、題名からは、連想が困難であるが、神田自身がプログラムで述べているように 「機会文明やハイテクノロジーと共生する現代人の有り様を描いたシニカルな寓話」である。 物語では、飛び降り自殺した若い女性がさまよう幻覚の世界が繰り広げられるが、 神田オペラの特長のひとつは、現代を舞台にしたストリーの意外さ・面白さにあるようだ。 このオペラでも”思い描いた寓話を具現化する”コンピュター・プログラムという発想が面白い。 しかし、込入った物語を伝えるために言葉をゆっくりと明確に発声させたためもあり、 音楽がやや平板に聞こえた場面もあった。
歌手は、新旧の実力者を揃え、理想に近いキャストであった。アポロ/医師役の秋谷直之、 クロノス大佐役の持木弘の新旧のテノールは、共に力のある美声を活かして、好演であった。 ディアナ/月子役の森美代子(S)は、コンクール等で何度か聴いていたが、今公演でも なかなかの好演であった。しかし、先日のコンサート(東京文化会館小ホール)で彼女が 甲高い可愛い声で話すのを聴き、シリアスなオペラよりむしろ台詞のあるオペレッタ等の方 が向いているのではないかなどと思った。ヘラ役の森永朝子(Ms)、ゼウス役の中村靖(BsBr)、 衛兵長マルス/セールスマン役の和田ひでき(Br)も存在感を示した。
一方、舞台装置は豪華なものではないが、小劇場ながら奥行きを十分にとり、スクリーンも活用して、拡がりを 持たせたもので、ストーリー展開には十分であった。管弦楽は、神田慶一指揮下の ORCHESTRE DU POISSONBLEU。(2008.5.26 記)


目次に戻る


2008.6.28 : 「ペレアスとメリザンド」

若杉新芸術監督の肝いりで「コンサート・オペラ」と言う形式のオペラ・シリーズが新国立劇場 で始まり、第一作としてドビュッシー作曲の「ペレアスとメリザンド」が選ばれ、中劇場で上 演された。このオペラは、新国立劇場では2002年7月に 日本モーツアルト協会主催の日本語上演(貸し劇場公演)であったが、今回は当然、字幕付原 語(フランス語)上演であった。 今公演は、演奏会形式ではあるが、オーケストラ(若杉 弘指揮下の東フィル)がピット内に入 るとのことだったが、歌手は聴衆に向って歌う通常の演奏会形式と大差はないと思い、オペラ グラスも持たずに出かけたが、実態はかなり予想と異なっていた。まず、回り舞台の中央に両 サイドに階段の付いた大きなプラットフォームが置かれ、4本の円柱がこれを囲み、 プラットフォームの上や横にベンチを思わせる太い角材的なものも何個か置かれていた。場面に 応じて舞台は回り、歌手は、これらに座ったり、寄りかかったりし、小道具は無かったが若干の 演技も伴って歌った。若杉 弘が舞台構成も担当したこの今公演は、単純な演奏会形式と 「ホールオペラ」の中間的な形式であった。しかし、歌手の衣装に関しては、ドレス姿の女性は問題なか ったが、男性が白ネクタイの正装姿で動き回るのは、場面によってはかえって不自然に感じた。「演奏会形式」 を一歩進めたことは、確かであるが、視覚的にはビデオや実演との差は大きく、やや消化不良の感があった。 むしろ歌手は最小限の動きで歌い、背面の大スクリーンに紙芝居的に古城や森の写真や絵を映す 方法はどうだろうなどと考えてしまった。
一方、歌手は、主役のペレアス(近藤政伸、T)、メリザンド(浜田理恵、S)及びゴロー(星野 淳)の主役3人が、いずれも豊かな美声を持ち、大変素晴らしかった。 脇役陣のアルケル(大塚博章、BsBr)、ジュヌヴィエーヴ(寺谷千枝子、Ms)、イニョルド (國光ともこ、S)、医師/羊飼い(有川文雄、Br)もまずまずの好演であった。 若杉 弘指揮下の東フィルの演奏も良かった。(2008.6.30 記)

目次に戻る


「椿姫:2008.6.5-17」

2008.7.11:「椿姫」

村上敏明は、別項にも記したが、筆者が現在最も期待している 「お気に入り」のテノールであり、彼の出演するオペラやコンサートには、極力出かけている。 今回、彼が「椿姫」で木下美穂子等と共演することは知っていたが、新国立劇場での「高校生のための オペラ鑑賞教室」での出演なので、聴きたかったが無理だろうと諦めていたところ、前日になって当日券 に限って一般人のための枠もあることを新国立劇場からのメールで知り、急遽出かけることにした。 村上のアルフレードは、佐藤美枝子と共演した2005年1月の藤原歌劇団公演での好演も記憶に 新たであるが、2001年の国内声楽コンクール”三冠王”である木下美穂子との共演にも強い関心 があった。 「高校生のための」と謳われてはいるが、主役、脇役ともトップクラスの歌手(オール日本人)を揃え、 演出・装置も新国立劇場公演のものをそっくり使い、勿論字幕付の原語上演なので、 一般公演と全く変わらなかった。 会場は、4階席まで若々しい高校生で埋まり、大盛況であったが、圧倒的に女生徒が多かったのは、 少々残念であった。また、序曲が終わるまでの数分間、私語が絶えずざわめきが続き、多少心配したが、 幕が上がると共にこれも収まった。中には、オペラ通もいたらしく2重唱の後では、”ブラヴィー” の掛け声も聞かれた。 ともかく、このような素晴らしいオペラの実演に1万人近い(6回公演の合計)高校生が接する 機会を得たことは、大変素晴らしい。今後もこの企画が拡充されることを期待したい。 ところで、今公演の歌手陣では、やはりアルフレードを歌った村上敏明が断然素晴らしかった。 ヴィオレッタを歌った木下美穂子は、大変豊かな声量をもっているが、声の透明感が今一で、個人的 には多少の不満が残った。ジェルモンは、折江忠道が歌ったが、まろやかな美声を駆使して なかなか良かった。ドルフォール男爵役の小林由樹、医師グランヴィル役の鹿野由之、 アンニーナ役の岩森美里等の豪華な脇役陣も好演であった。(2008.7.12 記)


2008.7.12.:「美しいパースの娘」

「東京オペラ・プロデュース」の第82回定期公演としてジョルジュ・ビゼー作曲のオペラ「美しいパースの娘」が、 貸し劇場公演として中劇場で日本初演された。このフランス・オペラ「La jolie fille de Perth」は、スコットランドを舞台にした ウォルター・スコットの小説「The Fair Maid of Perth」 (1828)を原作とする全4幕のオペラであり、部分的には「アルルの女第2組曲」に取入れられた 有名なメヌエットやNHKの「みんなのうた」でも「小さな木の実」 として紹介された第2幕のセレナードなど広く親しまれている曲が入っているが、日本では、オペラとして通して上演された ことは無く、我家のビデオコレクションにも入っていなかったので、1週間ほど前に「予習」のため東京文化会館の「音楽資料室」に出かけこの オペラのDVDを観た。
今公演の歌手は、脇役まで実力者を揃え、なかなか聞き応えがあった。しかし、主役のキャサリン役の福田玲子(S)は立派なコンクール歴もあり、声量も豊かでは あるが、個性の強い声なので2月の「妖精」の場合同様、今回も適役とは思えなかった。一方、ロマの女王マブを歌った大隈智佳子(S)は、芸大在学中から 芸大奏楽堂での「椿姫(2007年2月)」等で活躍しており、いずれ大コンクールで優勝する人ではないかと大いに注目していたが、今回も素晴らしい声と 歌唱を披露してくれた。なお、2人の声を聴きながら、役を取替えたらどうであったかなという思いが脳裏をかすめた。ヘンリー役の塚田裕之(T)は、はじめて聴いた が、素直な声と歌唱で好感を持った。脇役陣では、ラルフ役を歌った清水広樹(BsBr)の重厚な美声が圧巻であった。ロスシー公爵役の松村英行が テノールに転向したことは知らなかったが、今回はバリトン役を歌い、なかなかの好演であった。グローヴァ役の大野隆(Bs)も父親らしく優しく歌い、 好演であった。 八木清市演出による舞台装置は、背景の建物を抽象化したりした簡素なものであったが、背面のスクリーンを上手く活用し、高さを強調した舞台となった。 また、人の出入りが自然で、緊迫したドラマがスムーズに進行した。終盤で合唱団員を左右の袖に一列に並べて歌わせたのも新鮮で効果的であった。 (2008.7.14 記)

目次に戻る



「ホームページ」 「東京の街路樹」 「樹のある風景」