第2回《お結びネット》:講演会

 
日 時2008年6月12日(木)、18:30〜21:00
会 場文京区民センター、 2階2A
内 容「市民自治の可能性をさぐる(講演の骨子
講 師福嶋 浩彦氏(元我孫子市長)

福嶋浩彦氏のプロフィール

中央学院大学客員教授。東京財団上席研究員。1956年鳥取県生まれ。83年我孫子市議会議員。 95年38歳で我孫子市長に当選、2007年1月までの連続3期12年務める。この間、市の補助金の市民審査、 市職員l採用での民間試験委員、常設型市民投票条例、コミュニティビジネスの育成、市民債lこよる 自然環境の保全など、徹底した市民参加型の行政運営で注目された。
著書:『青年市長ニッポンの新世紀』(共著、河出書房新社・2000年)、『市民自治の可能性〜NPOと行政 我孫子市の試み〜』(ぎょうせい・2005年)。

<講演の概要>

1. 自治・分権の視点
まず、市民がとるべき行動の原則を述べる。それは、自分でできることは自立して自らの責任と権限で行い、できないことは市民のコントロールのもとで行政に行わせることである。そして、行政のあり方は、まず、市民に一番近い基礎自治体ができることを行い、基礎自治体ができないことを広域自治体が行い、両自治体ができないことを国が行う。これを近接性の原理、補完性の原理という。 健全な市民社会を実現するには、自分達の力で地域を創るという永遠の目標に向かって努力を継続することが重要である。市民自治あるいは地方分権は、中央集権か地方分権かという選択の問題として捉えられやすいが、これは選択の問題ではなく、理想的な市民社会を構築するための原理・原則である。市民のために働くべき行政のレベルがなぜ国からではなく、基礎自治体から始まるか。それは、基礎自治体が市民に最も近くてコントロールされやすい組織だからであり、もう一つ、市民の参加を得た行政展開が最も現実的に可能な組織だからである。 地方分権のテーマで議論される権限の「移譲」とは、主権者がある組織に委ねていた権限を他の組織に移すことであり、上位の組織が下位の組織に権限を「委譲」することではない。現実に最も強い権限を行使している組織は国であるが、権限移譲とは、国が権限を「委譲」するのではなく、主権者が権限を「移譲」するのである。

2. 地方自治の本旨と市民の直接参加
市民自治の原点は、直接民主主義である。しかし、近代社会において、何万人、何十万人の市民による直接民主制は現実的でないので、基礎自治体においても国や県と同様に間接民主制を採っている。この直接民主制と間接民主制を上手に並立させることが重要である。 地方自治に関して日本国憲法では、第8章をこれに充てて、冒頭の第92条で「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」と規定している。ここで言う「地方自治の本旨」とは、英国で発達したと言われる住民自治の思想と、ドイツで発達したと言われる団体自治の思想を両輪とする概念体系である。 この住民自治、即ち直接民主制と、団体自治、即ち間接民主制を並立させる概念体系は、統治システムとしての国あるいは国政の考え方とは明らかに異なる。このため、地方自治制度には、国政レベルとは異なり、直接民主制を体現する制度設計が施されている。例えばそれは首長の直接選挙であり、首長のリコール権と議会解散権の市民への付与である。また、条例の直接請求権(首長に議会への提案を行う義務づけ)、あるいは住民監査請求権(さらに、直接利害関係の有無を問わない住民訴訟権)の付与である。しかし、こうした制度設計以上に重要なことは、日常的な市民の直接参加である。

3. 日常的な市民の直接参加による緊張感の保持
地方自治への日常的な市民の直接参加は、多くの場合、基礎自治体の計画づくりへの公募委員としての直接参加、あるいはタウンミーティング・パブリックコメント等での意見表示の形で行われる。我孫子市の場合、市民参加あるいは協働協治の質をさらに高めるため、市内に残存するあらゆる既得権を排除すべく、補助金を一旦全て廃止し、市民参加により新たにゼロから制度構築を行った。そして、全ての補助金は最長3年で全て白紙に戻し、有効性・必要性を審査するシステムを導入した。 例えば、医師会への補助金は、市民審査の結果、不採択となった。勿論、市民の健康診断や休日診療など、医師会活動による市民への恩恵は十分に理解されている。しかし、裕福な会員を多数抱える医師会に対して、財政的に窮乏している市が助成する必要性があるのかという点で、市民の判断が下された。あるいは、補助金とは別の案件で、職員採用にあたっても、コネ採用などの既得権を排除すべく、従来は市の幹部が実施していた人物採用試験に、民間試験員を充てる改革を行った。注意すべきことは、これら市民の参加を得て審査や試験が行われようとも、最終決定権は間接民主制のもとで首長と議会にあり、判断結果がもたらす最終責任は首長と議会がとると言うことである。 このような形で市民による日常的な直接参加の機会を作ることにより、役所の組織に健全な緊張感が保持されることになった。

4. 行政組織と共に議会の能力を向上させる
団体自治機能の主体としての地方自治体組織は、言うまでもなく首長(役所)と議会の二元代表制である。市民に対する説明責任は、首長だけにあるのではなく、議会にも当然存在する。しかし、通常は、議員の多くは市民への説明責任を首長に押しつけようとする傾向がある。この構造にメスを入れねば、真の団体自治は機能しない。 我孫子市では、2006年度予算から、政策的事業を中心に予算編成の過程を全て市民に公開した。公開の方法はホームページへのアップと行政センターでの閲覧によって行った。 予算編成過程では、役所の各課から事業予算の要求が行われ、それを企画調整室が査定を2回行い、あるものは認め、あるものは減額査定し、あるものは却下する。さらに、首長を含む理事者が同様に査定を2回行う。この過程をつまびらかにすることにより、市民は、自分が関心を寄せる予算がどの段階でどのような査定を受けたかを、理由と共に知ることとなる。さらに副次的な効果は、市民は、自分の要望の成否だけではなく、他の要望も知ることとなり、役所における両者の優先順位を認識することにより、自治体のまちづくりの方針、全体的な方向性をつかむことができる。 我孫子市ではここまでであるが、北海道の栗山町などでは、このような査定を経て首長から提出された予算案を、予算議決権に基づいて議決した議会にも説明責任を求めている。つまり、条例や予算について、担当地域を決めて議員が市民に説明を行うのである。
5. 議会活動への市民の直接参加 栗山町の議員による条例や予算の市民への説明は、いわゆる議員の後援会や支持者への説明ではない。自分と直接利害関係のない市民に対して、議会を代表して説明するのであるから、思わぬ質問攻めにあうこともあり、議員は自ずと勉強を余儀なくされる。また、議会での審議において、市民を参考人として参加させ、意見を述べさせることもできる。地方議会には公聴会という制度もある。このようにして、議会活動への市民の日常的な直接参加を促すことにより、後援会や支持者の声を拾ういわゆる議員活動とは異なった、議員と市民との間の健全な緊張関係が保持され、このことが議会の能力を飛躍的に向上させるのである。

6. 民と官の連携を通じた信頼感の醸成
我孫子市の地方自治がこのような進化を遂げたきっかけとして、市内に継承されてきた負の遺産に対する取り組みがある。それは、日本一水が汚染されている湖沼という不名誉な記録を1974年から2001年まで27年間も塗り替えてきた、手賀沼の水質浄化運動がある。これは、アオコの発生などの水質汚染に対処するため、周辺住民による無リン洗剤の使用をいち早く普及させ、その後日本でも有数の高い環境意識を住民たちが有するようになった琵琶湖の事例と共通するものがある。 また、湖沼に絡む事案として特筆すべきものに、古利根沼の保全のため市が底地を買い取る事態となった際に行った市民債の発行による資金調達の事例があげられる。通常、市民債の利回りは国債よりも有利となるように設定されるが、市民債の発行にかかる事務手続きなどを勘案すると、金融機関からの資金調達よりも割高となる可能性がある。財政にゆとりのある自治体ならば眼をつぶることができるが、我孫子市には余裕がなかった。そこで、金融機関からの資金調達コストを計算し、それよりも割安となる水準に利率を定めて市民債を発行した。買い手がつくかどうかの不安はあったが、底地の買取費用4億3千万円のうち2億円を市民債で賄うこととして公募を行った結果、公募額をはるかに上回る10億3千万円分の応募があって完売した。市立小中学校の耐震工事に際しても、同様の市民債を発行して資金調達を試みたところ、5〜6倍の応募があり、抽選によって完売した。 行政や議会活動への市民の日常的な直接参加は、双方にとって一見手間のかかる面倒な作業に見えるが、その過程を通じて醸成された両者の信頼感は、地方自治に様々な可能性を与えてくれる。首長が行政への市民の直接参加を推進すると、「これは議会軽視である」との批判が口にされることがあるが、これは誤りである。議会も民意を代表しているが、首長も民意を代表しているのであり、市民の直截参加による民意の把握を両者が競うことが本来の姿であろう。 これらの市民自治のシステムが正常に機能する姿が地方自治の理想である。そして、このようなシステムのもとでも、行政や議会の判断が民意と異なると市民が感じたときの最後の安全装置として、 常設型の住民投票制度を整備することが望ましい。(文責:山岡)