私は、12年前の平成10年に、文京区千石2丁目に引っ越してきました。地下鉄著荷谷駅を出て、春日通りを渡り、緑に包まれた銅御殿を右に、同じ
く緑に包まれた窪町東公園を左に見ながら湯立坂を下り、坂を下りきった先
に、家を買いました。
私がこの地に住もうと決めた大きな理由の一つが、湯立坂の素敵な景観でした。当時の職場との距離の関係で、文京区・北区・豊島区などにある約2
0カ所の物件をみてきましたが、最終的には、緑に包まれた湯立坂を上り下りして通勤することの快適さが今の家を買う決断をする大きな理由の一つに
なりました。
平成17年の暮れに野村不動産によるマンション建設計画が起き、近隣住民への鋭明もなく、湯立坂の一角の緑が突然、無惨に伐採されていった時、
私は個人として、強いショックを感じました。それまで何年間もあたりまえのように美しい景観を享受させてもらってきたわけですから、今こそ何かで
きることはしたい、と思いました。遅まきながら、地域の住民としての責任に私も目覚めたわけです。
工事計画の概要を知るに至って、責任感は危機感に変わりました。重要文化財の建物の庇からわずか約7メートル先に、高層階を重文寄りに寄せた設
計で高さ約45メートルの建物が建つということを知りました。もしも、5年に1回、10年に1回という大風が吹いたら、ビル風で重文の建物が壊れ
てしまうのではないか。そうなったら、重要文化財の指定が取り消しになって、緑の庭園ごと跡形もなくなってしまうのではないか。心配でたまらなく
なりました。
そこで、とりあえずできることとして、湯立坂の景観の貴重さを、もっと地元の住民に知ってもらうための活動はやりたい、と思いました。いろいろ
な人に声をかけて、この数年間、イベントをやったり、文化講座をひらいたりしてきました。戸別にボスティングしていったチラシ1枚を見て、「何か
お手伝いすることがあれば」と手伝いに来てくださる方もあり、結果的に、数百人もの人が今はイベントを通して作成した名簿に名を連ねております。
湯立坂の東側には、大正9年に作られた旧山崎邸の洋館があります。所有者の協力を得て、平成18年7月には、この建物を公開するイベントをやり
ました。公開日には65人の人に参観に来ていただきました。同年11月の公開は、新聞記事にもなり、230人もの人に来ていただけました。
その後も、講談の夕べや落語の会を開いたり、餅っき大会をやったり、子ども向けの木工教室をやったりしつつ、併せて展示やチラシなどを通して湯
立坂の景観の問題を広く知ってもらう機会にしてきました。地下水の専門家の方や、都市計画法の専門家の方などをお招きした勉強会も開きました。平
成20年の3月に湯立坂が文京区都市景観賞を受賞した際には、翌4月に湯立坂を主題にした「みんなの湯立坂・春の集い」というイベントをやり、4
00人を超える人が集まりました。
旧山崎家の和室や湯立坂西側の窪町東公園を会場にしたこれらのイベントの際には、(財)大谷美術館の協力も得て、重要文化財の建物や庭園を地域
の人に参観してもらう好機にもなりました。
もう一方で、私たちは、何度も文化庁に申入れをしたり、文化庁に足を運んで担当の人に動いてくださるようお願いしてきました。しかし、文化庁は 平成18年にビル風の問題を無視して「影響は軽微」という判断を示しただけで、今日に至っております0ビル風の問題を文化審議会で取り上げてほし いとお願いもしましたが、それもなされないままになっています。
最後に一つ、重要な問題をお話しいたします。
まだ風洞実験もなされていなかった平成18年5月に、文化庁が「風は無視しろ」と文京区に指示していたことが、つい最近明らかになりました。今
年6月11日の文京区議会建設委員会で、浅田やすお区議(社民)の質問に対する文京区の答弁で明らかになりました。
平成18年5月に、文京区は、マンション建設工事が銅御殿に及ぼす影響について、文化庁から都教委を経て区教委に対して問い合わせがあり、区教
委が都教委に「意見書」の形で5月23日に返事を出しました。この文京区の意見書は、都教委から文化庁へと上がり、文化庁の「影響は軽微」という
判断につながった重要な文書です。
議事録によれば、浅田議員は、なぜこの意見書でビル風の影響が言及されていないのかについて、区の担当者に質問しました。それに対して、担当者
は次のように答えました。
まず、平成18年5月の意見書の中でビル風について触れなかったことにつきましては、当時、文化庁は、ビル風については文化財保護法の範囲 外の見解を示しておりましたので、教育委員会においても、業者に対してこの指導は行わなかったものでございます。なお、工事事業者からは、照 会書を作成するに当たりましてビル風のデータを添付するかどうかの問い合わせがありました。都が文化庁に問い合わせたところ、法の範囲外であ るビル風のデータ抜きの照会書を提出するよう指示がありましたので、この照会につきましてはビル風については触れていないものでございます。
つまり、ビル風の影響についてまだデータもみていない段階で、すでに文化庁は、「風の影響は無視せよ」と指示を出していたわけです。この間題の 最初の時点で、文化庁はボタンを掛け違えたのだと思わざるをえません。
身近なところにある緑や文化財を、地域に住むわれわれが大事にしていくことは、道義的な責務だと思っています。特段の努力もしないまま何年間も
素敵な景観を享受しておきながら、いざ景観と文化財の危機の問題がもちあがった時に何もしなかったのでは、子どもや孫に顔向けができなくなって
しまいます。「昔はあそこに国の重要文化財の建物があったんだよ」と、私の孫やひ孫に説明しなければならなくなるとしたら、それはとても悲しい
ことです。貴重な歴史的建造物を壊してしまいかねない計画は、なんとか見直してもらえれば、と強く願っております。私どもの思いをおくみ取りい
ただければ、と思います。