子供たちも、教育も忘れた教育センター建設計画に見えたもの

文京区政の悲喜劇

福祉センターと教育センター建設とは
音羽、鳩山会館前にある福祉センターは建築後36年たち、老朽化の問題と福祉事業の拡充 (現在の生活介護、相談支援事業にくわえ、新たに入所施設、短期入所(ショートステイ)自立訓練事業、障害児放課後居場所対策事業)のため、 大規模な新施設建設が必要とされている。教育センターは昭和41年、教育の充実振興と区民等の学習活動の場の提供を目的として、現在の音羽中学校 の場所に建設されたが、同中学の建設に伴い、旧小石川保健所施設に仮設置されている。

結論ありきの協議会の始まり
2008年春、区報「ぶんきょう」に区民公募委員募集のお知らせがあります。『仮称)福祉センター及び教育センター建て替え地等検討協議会』の委員6人の公募です。 委員の仕事は「建て替えが必要な福祉センターおよび教育センターの建設場所と施設内容の基本的な考え方の検討」と記載されています。
これは、協議会の冒頭、区長から協議会に提示された諮問文
1 福祉センター及び教育センターの建て替え地について
2  福祉センター及び教育センターの施設内容等の基本的な考え方について
と同じです。
福祉センター・教育センターの建設場所と施設内容を広く区民からの意見を求め、協議をするといった、行政のあるべき姿の協議会の設置でした。
しかし、この協議会は行政の決めた結論を区民の意見にすり替える場になりかかりました。 文京区は次の2本のレールを用意して、その上に協議会を走らせようとしていたのです。
@ 不自然な協議会の委員構成、
A 恣意的な議題設定と議事進行 
この2本のレールに載せられ協議会は結論ありきの走りをはじめました。

PTA関係者ゼロ、町会長は神田川沿いの町会だけの不思議
まず、1本のレール、委員構成です。学識経験者2名(互選で会長、その指名による副会長)、福祉センター利用者の保護者代表2名、障害者団体の推薦者2名、 高齢者クラブ連合会の推薦者1名、区立小、中学校校長会代表各1名(計2名)、特別支援学級にかかわる教諭1名、特別支援学級連絡協議会推薦者1名、そして 公募委員6名、地区町会連合の推薦者6名が委員会を構成しました。この委員構成に2つの問題がありました。
1 学童の教育・安全の視点をもつ委員が、PTAの代表さえいないのです。福祉センター関連の委員数に較べ、教育センターのそれは、教師研修・研究施設 としてのセンター利用者でもある小・中校長2名だけです。この会議で教育長が区内児童の個人利用を前提としているとした教育センター、その利用者である 区内の子供たちに目を向けた委員が少ないのです。
2 地域の偏った町会連合会からの推薦委員6名の問題です。本来、区内全域にかかわる施設の協議です。町会からの委員出席を求めるなら、区内全域の 町会連合からの委員推薦が常識であり、区民の合意形成に不可欠のはずです。実際の委員6名は3地区町会連合から2名づつ、それも文京区の南端、神田川沿いの 町会だけです。ちなみに区内には9町会連合、町会が156あります。

3択議題は初めから五中跡地に誘導するため?
2本目のレールは議題の設定と議事運営です。
区報の内容のように建て替え地について協議するなら区内の候補地がすべて提示され、そこの中からの絞り込みの協議が始まるはずです。しかし、提示された 議題は“3択”の候補地でした。最初から3ヶ所の候補地から選ぶための協議会なら、区報に絞り込まれた経緯を説明し、3つの候補地を明示し、3択の協議会 設置を広報し、委員募集をするのがまっとうな行政です。それが文京区の基本構想の柱、協同協冶の姿のはずです。 会議に提示された議題は@五中跡地、A小石川保健所跡地(現教育センター仮設地)、B茗荷谷駅前・旧女子アパート跡地(都有地)の三択でした。 会議を進めていくうちに、五中跡地以外の候補地には建築上の制約、土地購入経費の問題等が明示され、流れは五中跡地へと大きく動き始めました。 区の中心部に近く、地下鉄も3路線、バス路線、幹線道路等アクセスも良く、東大に隣接し、教育センター活動に有形無形のメリットのある湯島体育館跡地が なぜ候補にならないのかの質問には、議題でないからといった理由で答弁なしの議事進行です。 勘ぐった見方をするなら
利用者の大半の子供たちの安全・利便に疑問の多い五中跡地計画には再検討を求めざる得ないPTA関係者と、本郷、湯島、千駄木、根津等の地域関係者を意図的 に外し、区民には3択議題を隠し、協議会だけで3候補地を公表し、2つの候補地の問題点を挙げれば会議の結論は五中跡地に流れ、その結論は区内全域から 建設予定地を選定する協議会が決めた結論として広報できると踏んでいたのかもしれません。延々8回の協議会の答申は、教育センターに関しては『建て替えの 適地について意見の一致を見なかった。』となりました。
これは協議会に出席した大部分の委員があからさまな結論ありきの会議運営に疑問を持ったこと、委員の一部にこれまで、地元地域センター廃止に抗議して、 区政へ協力返上を文書にした町連会長、都市公園廃止に反対し、町会を挙げて2年間住民運動に参加した町会長、真摯な福祉関係委員などが出席していた事が幸い しました。

文京区政はナンチャッテ北朝鮮?
さて、これから先は区議会の討議に移され、区内各地域の利害(子供たちの安全と利便)を考え、文の京の教育を考える区議会議員による文教委員会等の場に この問題は託されたわけです。
でも、文京区の悲喜劇はまだ続きます。この協議会の結論に一部議員が激怒しました。福祉、文教の合同委員会では区議会議長(当時)がこの結論を出した委員 たちの名前はわかるのかといった質問さえしました。傍聴席があり、議事録も作成されている事さえ知らずに、区議会議長が協議会の結論にこの恫喝めいた発言 はお笑いでは済ませられない問題です。
こんな成り行きの背景には、事前に行政担当者(区長部局)と有力議員(与党)との間に結論があり、それに合わせた答申を各種協議会で委員構成、議題設定、 広報等で誘導し、その答申を区民の合意といった“御旗”にして、地元説得も区議会審議も安易に進めようとしていたこれまでの区政の姿があります。
こんな役人主導の、形式だけのシャンシャンシャン♪♪・の議事進行といったナンチャッテ北朝鮮の区政が続いたのは
@ 本会議の質問作成も役人に依頼していると噂されたり、生徒会レベルの質問しかできない不勉強な議員が多く、立法権限による行政執行能力を放棄し、 行政チェック機能さえ区議会が放棄してしまい、行政のロボットになっていること。
A PTA、町会の長などが常に各種協議会の委員を占めても、議題を持ち帰り、会員、地域の意見集約もせず、私見表明さえもせずに行政の結論に載せられていること。
B 国政、都政段階には各種報道機関の目があるが、区政に関してはそれがなく、無風地帯が生まれていること。
などが考えられます。
この役人依存の議会運営、行政に対し、中央政界では官僚支配からの脱却へ試行錯誤が始まっています。この中心は民主党ですが、文京区では民主党区議団が 一番役人寄り、行政よりと見られていることがこれからの区政の見どころです。こんな指摘にも「我々は民主党ではない民主クラブである」との答えがもう聞 こえてくるレベルの文京区政ではあるのです。

:協議会は福祉センターの建設に関し、予定地を五中跡地とする意見が大勢を占めました。ただし、福祉センターの建設と運営にかんして、文京区による@建設・運営 (公設・公営)、A公設・民間運営(公設・民営)、B民間による建設・民営(民設・民営)の意見に分かれ、答申には採択数(公設公営希望4名、公設民営希望9名、 民設民営希望0名、棄権5名)が付記され、本文に「運営方式については、付記事項を重視していただきたい。」が記載された。(2009.11.28、T&T 記)