第19回《お結びの会》:講演会

1. 日時:2013年11月21日(木)、16:30〜19:00
2.会場:文京シビックセンター 4階 シルバーホール
3.参加者:27名
4.パネリスト:
日本トイレ研究所理事 上幸雄氏、浦安市議会議員 末益隆志氏、前浦安市舞浜自治会長 伊能隆男氏、 文京区防災課長 松永直樹氏
5.演題:「生命に関わる災害時のトイレ」」

司会 お結びの会 並木さん

司会(お結びの会 並木さん)
お結びの会の小川さんの努力によりこのような会が開催できることとなった。今日は、災害に直面し、その対応に苦慮された方々をお招きして 貴重な話をお伺いしたい。
<自己紹介>
伊能氏 : デズニーランドが隣にある浦安市舞浜三丁目在住で、震災当時自治会長をしていた。
末益氏 : 浦安市議会議員であり、1,100世帯の大団地の自治会の副会長をしていた。
上 氏 : 1985年に立ち上げた日本トイレ協会を経て現在NPOトイレ研究所理事をしている。
  松永氏 : 現在、文京区の防災課長をしている。

<パネルディスカッション>

(司会): まず、4人のパネリストからそれぞれ15分程度お話を伺いたい。

1. 上氏
30年ほど前にトイレ協会をつくったが、その目的は、当時はトイレなどというきれいな言い方もなく、4K(くらい、きたない、くさい、 こわい)ともいわれた公衆便所をなんとかできないかということで仲間と一緒に運動を起こした。もともとと私自身20代のころから公害 問題とか環境問題をやっていたので、トイレの問題も非常に身近な問題であり、特にゴミ問題では以前から自治体との付合いもあったので 入り易かった。協力者もあり、十数年かけて公衆便所を公衆トイレと言い換えることができるようになった。目処が立った段階で見返して みると残された重要な分野、まだ改善されていない分野が四つあった。

一つは、山、海など自然環境でのトイレ問題。
二つ目は、学校のトイレ。
三つ目は、途上国のトイレ、衛生問題。
四つ目が、災害時のトイレ問題。

 15年程前、この四つのテーマで活動を続けてゆくこととした。その後まもなく阪神淡路大震災が起こった。その2年前に我々と神戸市の 共催で世界から10ヶ国の参加を得て、おそらく世界で初めて、「国際トイレ・シンポジウム」を開催したこともあった。我々が神戸市にど のように協力できるかということで、災害発生5日後に神戸市に入った。
 市内の避難所、街中を西宮まで2日間歩いて現状調査をした。神戸市の旧庁舎は、丁度真ん中の階で潰れていた。 早朝だったのでまだしも、勤務時間中だったらさらに大災害になったものと思う。夜は神戸市役所新庁舎の避難者の中に泊めてもらったのが、 災害時トイレ問題の本格的なスタートであった。
 この問題について一般の人の関心が薄い割には避難所に行っても一番辛いのは、トイレ問題との声が多かった。それ以来、2011年3月11日の 東日本大震災でもトイレ問題について現地調査をしたり、「トイレお掃除隊」というグループをつくって避難所の掃除に行ったりの活動を続けてきた。
 まず、災害時のトイレ事情を映像で見てもらいたい。

  
@                       A                    B

@ 岩手県大槌町の堤防が壊れている様子。 A 宮城県石巻の港近くの学校。 B 奥の住宅は、津波被害に遭ってないにも関わらず、上下水道が ダメになったため、仮設トイレを使わざるを得なくなっている。
 
      
 C                D               E               F               G         

   C トイレは壊れていないが上下水道が止まったことによって、使用禁止になっている模様(大槌町)。 D 便器は意外に強く、ほとんど壊れていないが、 上水道が止まり、流入物が詰まって使える状態ではない。 E 避難所になった釜石第一中学校(校舎が古く使用していなかった)には、洋式便座が一個も 無かった。仮設トイレは10〜15個あったが、全部和式であった。300人の避難者のうち車椅子の人が一人いたが、当然和式は使えないので、写真の ように和式トイレの上にダンボールを置き、その上に簡易洋式トイレ便座を設置した。F排泄便は、ビニール袋に入れて、この大便箱(捨て場)に入れ るという衛生面からは悲惨な状況。G 浦安市の仮設トイレ。全て和式。普段(保管時)スペースを取らないという利点のある組み立て式のものも設置さ れていた。なお、仮設トイレは風に弱いので、強風時には使用禁止になってしまう。仮設トイレの設置は、水の確保とセットで行うべきである。
 阪神淡路、東北大震災の例からも、災害時の避難所で一番辛いのはトイレの問題である。「空腹でパンを食べたい」ということより「トイレに行きたい、 漏れそう」ということのほうがはるかに辛い。災害後の数日間、服も便所もない、たれ流し状態で多くの人がいて、臭いの酷さは筆舌に尽くし難い悲惨な 状態であったとの話も聞いた。

   「災害時トイレ対策の基本」は要約すると下記のとおり。

<自治体、地域では>
@  日常時の区民啓発 ⇒ 自分で自分を守る〔自助〕を区民に伝える
A  日常時の災害時トイレ対策 ⇒ 時間軸に沿って災害用トイレを備える
B  日常時からの人材育成・情報伝達づくり ⇒ 災害用トイレマニュアル、人的配備を
C 要援護者、中高層マンション・オフィス対策 ⇒ テーマを絞り、災害時トイレの課題を見る

<企業・事業所では>
@ 人材育成と配備 ⇒ 防災管理者と同様に災害時トイレ担当者を置く
A BCP(事業継続)対策 ⇒ トイレが無ければ仕事はできない=必須だ
B 地域社会との日常的連携 ⇒ 災害用トイレのストック・整備、提供
C 災害時支援 ⇒ スペース、人材提供、帰宅困難者支援

<区民は家庭では>
@ 災害時のトイレへの気付き ⇒ 発災したら、水洗トイレは使えない
A 自助とは何か ⇒ トイレ、汚物処理、水の確保から始まる
B 平常時からの備え ⇒ 災害用トイレ(携帯トイレ*、簡易トイレ)、ペーパー、新聞、ビニール袋 *5〜7日分の確保が必要
C 自身の環境を見る ⇒ トイレ設備、区や地域の対策、備蓄状況

2.末益氏
最初に東日本大震災における浦安市全体の被害と対策について話したい。
浦安市の位置は東京からひと駅、15分〜20分で市の中心部に到達する。人口密度は文京区の1/2くらいである。空から見ると浦安は昔からの漁師町 である元町地区、第1期埋立て地区である中町地区、第2期埋立て地区である新町地区にわかれるが、被害はこの中町、新町に集中している。元町の海側 のどん深や澪(みお)が第1期工事で埋め立てられ、外側に堤防ができた。第2期工事では、この堤防を残したまま埋め立てが完了した。現在約16万人 の人口は、30年くらいで3倍になった町である。
 ユーチューブでも見ることができるが、市の面積の86%が液状化の被害を受け、中町、新町の多くの住宅、アパートは傾いてしまった。公共施設につ いて言えば、岩盤まで杭を打ってあるので、建物には損傷がなかったが、周りが沈下したことにより地下のインフラである上下水道管、ガス管が断裂して したため、全く生活ができない状態になってしまった。護岸もずり落ち、曲がってしまった。震災時、消防の本庁舎は健全で微動もしなかったが、消防支所 では庁舎が曲がってしまい(不等沈下のため)、消防車が出て行けず、バックで裏から出るという異常状態であった。たまたま昼間であり、火災もなかった ので死者はもとより、けが人も出なかった。
戸建住宅の場合、家が傾き、道路とずれてしまったため、下水管が破断して、そこから液状化した泥が入り込み、公共の下水に流れ込んでしまった。流入 土砂は7万?に達し、浦安市だけでは対処できないので、200人もの東京都下水道局の支援により対処した。
また、日本中からのバキュームカーや高圧洗浄車 の応援を得て下水管、雨水管の清掃をした。都ではTVカメラ(ロボットカメラ)による全下水管の調査をし、多量の貴重なデータを収集してくれた。  ライフラインの復旧は徐々に進んだが、水道管については管の亀裂があり、直しきらなかった。一ヶ月余りで応急復旧はできたが、堤防の裏側に仮設の配管 をして堤防を通して反対側に蛇口を付けたもので、自宅の中まで給水されたのではない。ガス管もしばらくは地上をのたうち回っていた。
 住民は皆避難所に入ったが、基本的には被災したからではなく、不安だから入った人が殆どであった。水道行政は、市ではなく県の管轄であるため、意思 疎通の難しさもあった。
 一方、仮設トイレは震災翌日から公有地に設置されたが、逆に、日を追う毎に下水道の被害が広がる傾向にあった。これは、被災したからだけでなく、 使えると思って使ってしまい、管が汚物で詰まってしまったことによる。いかに早く使用制限するかということが重要になってくる。
日本中からあらゆるトイレがきた。衛生問題についてはボランティアとも相談したが、復旧に精一杯だったので追いつかず、専門業者に来てもらって対処した。  仮設トイレは、簡単に組み立てられるが、その分簡単に風に吹き飛ばされてしまうことが課題である。したがって、置き場所、設置方向が肝要である。また、 廃棄物となる汚物の捨て方も大きな課題になる。
 もう一つは、使う人達に対する課題である。行政担当者は、ほとんどが男性であるため気がつかないが、まず、臭くて都会の女性には使えない。男性と同じ トイレであり、汲取り式で汚物が見えてしまうことや男性が外で並んで待っていることに対する気持ちを考えたら使えない。
子供と一緒にも入れない。結局、 夜明け前の人のいない時間帯に使う、電気をつけずに使うというような怖い状況で使っていた。また、段差があるので、高齢者が出入りの際にバランスを崩し て怪我をするケースも多かった。子供は和式の使用経験もないので使えないこともあった。結局、男女を完全に分ける、中が見えないようにする等の対応をした。  一番有効なのは携帯用のトイレである。マンションの場合、特に都心の場合、家屋が倒壊することはまずないので、家の中で下水は使えないが、トイレに ビニールを敷いて、便袋の中に凝固剤を入れて使うのが、体に一番負担の少ない方法ではないかと思う。あとは、衛生問題にだけ気をつければ良い。このため、 ボランティアと市職員が手分けして、各家庭に配っていた。
 なお、3ヶ月後に行った「行政の指定した避難場所に行くか」という問に対してマンションの住人は、仮設トイレが使えない、寒い等の理由で56%の人が 「行かない」と答えた。「行く」と答えた人は、27%であった。また、「家族と一緒であったか」という問いに対しては、「いいえ」が72%、「はい」が26% であった。男性は先ずいないし、帰宅難民は帰るなという事になっているので、3日から1週間はいない。 残されたのは、乳幼児を抱えた母親、独居老人、 いわゆる要援護者と言われる行政が想定している人とは違う人達が弱者になるので、この人達がどう快適に暮らしてゆくかということを考えねばならない。
マンションの場合には、自治会、マンション管理組合があるが、これらが合同(連携)しない限り、話がぐだぐだになってしまうので、役割分担を明確にする 必要がある。特にマンションで気を付けなければならないのは、「下水を使うな!確認が取れるまで絶対に下水を使うな!」ということである。高層階の汚物 が1〜2階のトイレで逆流・噴出した例もあった。
絶対に必要なのは、どう組織を作るかである。マンションの場合には、いろんな職種の人が入っているので、普段からどういう職種の人が住んでいるかサーチ しておくことが必要である。優先順位も周りの状況によって刻々変わってゆくので、会議・話し合いを持つことも重要である。なお、悪徳業者が入ってきて、 誤った情報を流し、我々が救助に入ると言って金銭を要求した例もあるので、特に都市型の場合には要注意である。
 また、マンションの場合、総会を経ずに使えるように「災害対策特別会計」を計上しておくことも必要である。修繕積立金等を使うこの特別会計により、 給水車をチャーターしたり、仮設トイレの用意をした例もある。ユンボを手配し、泥をかき出したりも出来た。
 それから行政には期待しないというと変であるが、行政に目こぼししてもらわねばならないこともある。実は、防火用水を生活用水として使った。これは消防法 上問題があるので、消防には止められたが、使わないと生きて行けないので使った。また、便袋の廃棄方法について行政と事前調整しておく必要がある。特殊な 廃棄物なので、個化せずに捨てた場合、パッカー車に入れて回した段階で、袋が破れ吹き出した例もあるので要注意である。

3.伊能氏
私が住んでいる舞浜三丁目は、デズニーランドの隣であり、約550世帯の戸建住宅があるが、そのほぼ9割が被災し、7割の家屋が傾斜した。残念ながら世界 最大級の液状化被害を被った街になってしまった。
 当時、私は1年任期の輪番制であった自治会長を、たまたましていた。
3.11以降の難題、難儀の連続であった我々自治会の活動について少し話したい。
 まず、M9の巨大な東北日本太平洋沖地震と大津波について振り返ってみる。
日本は、四つのプレートに接しているが、特に太平洋プレートと北米プレートは年間10cm位動いていると言われている。今回の3.11の悲劇は余震が多かったこと である。阪神大地震のM7.3以上の余震が長時間続いた。これが震源地から400km離れた東京湾の最奥の場所で液状化災害を起こした。中町にある舞浜三丁目は、 整備された緑の多い静かな街であった。  「液状化」については、S39年4階建てのアパートが傾斜、転倒した新潟地震で初めてその存在が明らかになった。今回の浦安は、本震ではなくその後の余震 で液状化が起こった。3.11後、東京都の液状化マップが大幅に変更になった。舞浜三丁目では吹き出した重い砂が50cm以上堆積したところもあったが、文京区で はほとんど液状化の心配はない。

           次に私自身の活動について話したい。
 3.11当日は、会議出席のため、参議院会館にいた。退館命令が出されたあと、帰路に着いたが、電車も動かず、タクシーもつかまらず、Skype利用の電話を除き、 電話も通じなかった。自宅から家が傾いているという短い電話だけ入ったが、その意味がわからなかった。帰宅難民となり、神田の知人宅まで4時間歩き、ここ から車で自宅に向かったが、浦安に近づくと状況が一変した。自宅に入って初めて家の傾斜に気付いた。その後、家族のいる近くの避難所(小学校)に行き、初 めて避難所生活を経験した。
 翌朝、自治会長として自治会館に「震災対策本部」を設置し、まず、トイレの水確保のため、防火用水を汲み上げ、住民に配った。その後、何をしてよいか全 くわからず右往左往していると、先輩の住人に「会長はそのまま動くな」と言われた。自治会館に役員が集まり、情報も集まり始めた。まず、第一に皆さんに状況 を速く・正確に伝えることを考え、配布するペ−パーと共に当日ブログを立ち上げた。さらにメール、専用携帯電話も設置するとともに、ハンドマイクを持っての 情報伝達を行った。また、建設業の人が持ち込んでくれた重機を活用して泥だらけの道の汚泥除去を行ったおかげで、5日後の3月16日には街の市道内の汚泥は全 て除去出来た。幸い、電気、ガスは大丈夫だったが、計画停電はあった。車で5分も行くと何の異常もない江戸川区、市川市であり、「何故自分たちの街だけが--- 」という思いが強かった。毎日、食事も作れず、風呂にも入れなかった。勿論、トイレも使えなかった。こういう日が一ヶ月以上続いた。
 自治会長としての最大の決断は、街全部の上下水道を止めることであった。大手ゼネコンの役員をしている住人から、マンホールを全部開けてチェックしたとこ ろマンホールの水位が限界に来ているので、このままだとどこかで家の汚物が逆流して住める状態ではなくなってしまうという報告を受けた。住民の強い反発を懸念 したが、これは杞憂に終わり、住民は静かにこの決断を受け入れてくれた。そして千葉県と浦安市に対して、上下水道を自主的に止めてくれるように申し込みをし た(上水道は千葉県、下水道は浦安市が管轄)が、双方の回答は「無理だ」とのことであった。相当のやり合いがあり、最後には、我々住民の総意であると県・市 に伝え、やっと使用制限が許可された。その結果、当然台所も風呂もトイレも使えない生活が始まった。ここでも人間の強さを感じた。水を流せないために、皿に サランラップを巻いて食事をする生活を始めた。トイレについても先ほどいろいろな案があったが、一番多かったのは、自宅の洋式便所の中にゴミ袋を置き、凝固 剤等を使っていた。しかし、凝固剤は色が余りにも露骨であるため、不評であった。
種々の情報の中で、一つおすすめだったのが “猫砂”である。特に紙製(粒状) の軽いものが非常に役立った。便器の中に猫砂を敷いて用を足したら砂を追加しての繰り返しであるが、吸収力が強く、臭いもなかった。5人家族であったが、 1袋で2晩くらいもった。スペースは若干とるが軽い。今でも3袋くらい常備している。新聞紙は吸収力が弱いため、収集上の問題がある。
 46日目にやっと上下水道が使えるようになった。震災から3週間ほどたった4月3日に住民総会を開いた。700人が集まったが、問題意識の共有ができていたの で穏やかに進行した。町のハードは大幅に壊れたが、ソフト(人財力)が充実した街だということを実感した。
 また、様々な分野の人が自然発生的に集まり、震災対策プロジェクトチームが出来た。これについては、NHKでもドキュメンタリー番組として30分にわたり報道 してくれた。このプロジェクトの概要は、次の通り。

<プロジェクトについて>
・ プロジェクトの名称を舞浜三丁目自治会震災対策特別プロジェクトチームとする
・ 本プロジェクトチームを舞浜三丁目自治会内に設置する
・ 本プロジェクトチームに専門WG(ワーキンググループ)及び事務局を設置する
・ 本プロジェクトチームの参加者は住民有志から募る
・ 本プロジェクトチームの呼称を“チームM3”とする
・ 本プロジェクトチームの活動期間をH24年3月末とする

<プロジェクトの目的>
・ 舞浜三丁目の住民の方々に今できる「安全」と「安心」を提供する
・ “液状化の再発防止”のために行政、開発業者等に協力・支援を求める
・ 一時的に失われた街のヴァリュー・アップを目指す

<チームM3 WGの役割>
   

(分科会)
(メンバー名)
土木・建築・地震学
 復旧(家の傾きや上下水道など)対策及び復興
(液状化対策 及び街のvalue upなど)
法 律
  
 法務担当
 税 務
 
 各種被災支援に関する情報提供と相談
行政担当
 開発業者との情報収集及び折衝
企業担当 
 開発業者との情報収集及び折衝
事務局 
 連絡、資料作成、広報など

このWGの実績について、簡単に紹介したい。
@ 被害実態の把握 
・ アンケート調査-----最初の大きな揺れで地割れが発生し、その後の余震の際に割れ目等から噴砂が起こったことが判明。
・ 堆砂量と家屋の傾き----これまで学説でしかなかったことを実証できた。
                     ・ 液状化の被害について---家屋の傾きの法則を発見した。因みに我が家は40cm沈下し、2.7°傾いた。(ジェット機の着陸時は3°)。 ここに半年暮らしたため、三半規管に多少の異常が生じた。
A 道路の測定
本来は市の仕事であるが、152箇所のマンホールを全部測量した結果、最大52cm沈下したところが あった。
  B 地盤地質の調査
     液状化層の発見-----メンバーの中に海洋研究開発機構のという“しんかい650”等の潜水艇を持っている法人の役員がいたので、 協力を得て、ボーリング調査等もやった結果、液状化層は、地下6〜9mに分布することを世界で初めて確認した。また、住民の協力により 多数のスウェーデン式サウンディング試験により液状化の過程を突き止めるとともに、開発業者の協力も得て、液状化対策も取りまとめた。 これが、いま浦安市の基本的な液状化対策のモデルとして採用されている。さらに再液状化しない工法を研究し、家々の間を通す超小型掘削機の開発もした。
 以上を取りまとめると、最悪の事態を想定して備えることが“3.11”の教訓である。災害は逃れられないので「正しく恐れることが肝要」 である。「防災でなく減災」という考え方も今、真面目に考えているところである。防災の基本である「自助」、「共助」、「公助」について も連携の必要性を改めて感じた。
 最後に千葉県では、大きく分けて三つのエリア(旭市・香取市・浦安市)が3.11で多大な被災をしたが、その中でも唯一死者がでた旭市 飯岡町と今後も防災について改めて連携して協議していくことになった。

4.松永氏
 文京区の現状について簡単に説明したい。
 まず、避難所には組立式の簡易トイレを準備している。1,000人が避難するので、相応の数を用意している。 組立式簡易トイレならば30組あり、 また、マンホールが使えるかどうかは別の問題として、マンホールトイレ(各3個)に加えてラップ式トイレもある。しかし、自宅で避難されている方 の分までは文京区では用意していない。
私も地域防災計画関連で3.11後この種の会議に呼ばれることが多いが、その際トイレの事に言及した方は、過去に1人だけしかいなかった。 食糧問題が主であったが、食べれば出るので確かにトイレ問題は重要である。
 先の話で感心したのは、猫砂の効用である。個人的にも自宅に用意したいと思う。この浦安の情報を文京区民にも提供したいとも考えている。
 一方、下水道については、東京都では耐震化が結構進んでいて、避難所の周りとか東大、順天堂大等の拠点病院周りの下水道については、ほとんど 耐震化が終わっている。この耐震化が地震の規模によってどれ位もつかについては、私どもではよくわからない。ただ皆さんの家庭の下水道について は耐震化が進んでいないと思う。都から出されたM7.3の地震が東京湾北部起こった場合の被害想定では、今の段階で文京区では約30%がダメになって しまうと想定されている。3割がダメになってしまうと、残りの人達にも影響があるかもしれない。最近の家屋は耐震化が進み、マンションの場合は 建築基準法に基づいて建設されているため、倒壊の恐れはないかもしれないが、下水道が使えないことを考えると避難所に避難しても良いが、同じ状態 なので、先程説明があったようなトイレを使う方が良いのか、あるいは自宅でビニール袋に猫砂を入れて用を足すほうが良いのか考えてみると、特に 女性にとっては後者の方が良いのだろうと思う。皆さんも肝に銘じて考えていただきたい。
 文京区でもトイレに関してはこれまであまりお知らせしてこなかったが、今後周知して行く必要があると思う。今日出席の皆さんもお知り合いの方 に伝えていただくとありがたい。

<司会>最初のプレゼンテーションに関する補足説明があればお願いしたい。
上 氏 : 釜石では子供たちがいち早く逃げて、150人位の生徒が全員助かった「釜石の奇跡」と言われている例があるが、2週間前の訪問時に、 数十人の方が亡くなった釜石の防災センターに立ち寄ったが、実はここは災害発生前の防災訓練の場所であった。そこより高所に本当の防災拠点が あるが、年寄りや車椅子の方もいて高所に訓練のために行くのも大変だからということで、訓練を下の方の防災センターで実施していた。このため 災害発生時にそこへ行けということではなかったが、日頃からそこで訓練をしていたおかげでそこに多くの住民が避難してしまった。そこに巨大津波 が押し寄せ被災してしまった。そのことから、平常時の防災訓練がリアリティをもってやれているかどうかということが重要だと思う。そして、最近 の朝日新聞に載っていたが自分だけは助かると思い、避難せず亡くなった方が多い。災害発生時に最大限の注意なり心構えを持っておく必要があるこ とを強調したい。

末益氏 : 誤解がないように言っておきたいのは、行政は何もしないのではなくて、行政は毎日会議をやって、進捗状況等を取りまとめ、一ヶ月間 毎朝20cmにもなる資料を議会に届けてくれて、我々はそれを持って地域に入ってゆき、今どこの地域がこういう状況だということを説明した。併 せて地図のようなものも準備してくれた。我々がいろいろ要望したトイレや風呂の問題(老人が入れる風呂がないか)等もやっていただいたが、それ をやるのが精一杯であった。 個別のお宅やマンションの問題は、自分でやるべきことだと思う。
 浦安市では、震災前から新町、中町地区の自治会連合会、管理組合連合会では、ともに震災がもし起きたならば、「マンション住民は逃げない、避難 場所には行かない」というように決めていた。これは何故かというと、先ほど言った元町地区は、木造密集地域である。しかもかなり古い住宅が多いの で震災が起きたときに、多分ここが火の海になるだろうという想定のもとに救急車、消防車はそっちの方に行ってくれ、我々は自立し、自分達で守る。 マンションは倒れないという前提のもとに、こういう取決めをしていた。しかし、毎年毎月新しいマンションが建っているので、最新のマンションには 新しい方々が入ってくるし、自治会長も管理組合の理事長も毎年変わるようなマンションも多くあるので、いくらそういう話をしても、コミュニティが まだ出来ていないこともあり、住民の方にきちんとした話が伝わらず、恐怖でマンションは何でもないのに避難所に逃げてしまい、そこで食べるものが ないとかトイレがどうとかいう話が出てしまったのは残念である。
 もう一点、防災計画における連絡窓口は自治会長になっているはずであるが、自治会長が毎日いるわけでもないし、帰宅難民になっている可能性もあ るため、防災課長等からの連絡を伝えることが困難である。このため、地域の方にいかに情報を伝えるかという点で行政は非常に苦労した。
 マンションについて言えば、大型マンションであれば管理センターが24時間機能しているので、自治会長はいないという前提でそこを連絡窓口にし てくれとお願いしている。この場合には一斉放送すれば済んでしまう。我々のマンションの場合には、概要の情報をホワイトボードに毎日貼っていた。 情報不足という不安を取り除くことも重要である。文京区のマンホールトイレとかの防災設備は、やはり東京都であり、すごいと思った。我々は残念な がら千葉県民であり、県の指導のもとに動いているので、市だけではあがいても出来ないことが多くある。

伊能氏 : 震災時に自治会で簡易トイレを備蓄していたが、数が足りなかったので、全戸に配れず、高齢者と病人に最優先で配布した。3.11 後、 この簡易トイレは全て東北の方に持ってゆかれ、入手困難であったので、我々はネット販売で広島県から調達した。やはり、自助として一週間分位の備蓄 をすべきである。

<質疑応答>

Q : マンホールについて、どこにあり、どこが管理しているのか
A(松永氏他) : 文京区の学校の周辺道路に3基ずつある。都以外の地方でこれを備えているところはほとんどない。
 文京区には避難所が32箇所あり、各避難所(小中学校等)には町会役員、民生委員、学校長等で構成された避難所運営協議会が設けられている。 ここで避難所開設、マンホールの場所、備蓄倉庫の在庫確認などについての実務を行う。また、各避難所には、土日、夜間には文京区、新宿区等近隣 在住の7人の区の職員が割り振られていて、震度5強以上の場合には駆けつけるという約束になっている。 7人というのは、最悪3人位は駆けつけ られるということから決めた。3.11のように平常時であれば区役所で職員が働いているので、各避難所に3人を割り振っている。
Q : 浦安の町会連合関係の情報は、ネット上に大量に出ているが、連合会の規約は、文京区の町会連合のものとは段違いに立派である。きちっと 会長選挙をやってゆくシステムになっている。文京区の場合は、長期にいる人しか会長になれないシステムになっている。
A(伊能氏) : 過分なお褒めの言葉をいただいたが、逆に課題もある。浦安都民と言われるが、浦安には住んでいるが殆どの人は、東京で働いている。 マンションもどんどん建ってきたので、新しい若い世代の方々を受け入れているのも事実であるが、 1年の輪番制については議論が分かれている。 1年間では何も分からず、やっと慣れたところで変わってしまうというのが、この震災で課題として出てきた。
なお、私達の街の自治会加入率は、震災前80%であったが、震災後は98%になり、現在も95%である。
Q : マンホールトイレにつて渋谷等ではプールの水を流すような簡便なトイレ専用のマンホールを校庭の中に20箇所位作っているようだが、 文京区では非常に少ないので、大型マンション建設時に災害時用のトイレを作ってくれというような要望をしている。文京区でもこれを条例化して欲しい。
A(上氏) : 国土交通省の下水道部がマンホールトイレの補助制度を持っている。ところが、マンホールが全国にどのくらいあるか調べようとしたが、 データがなかった。自治体ではそれぞれこれらの数を把握しているはずである。この補助制度があるので、マンホールトイレが欲しいという住民の声を 自治体経由であげて欲しい。 現在はこの国の制度が十分には活用されていない。昨年から、マンホールだけでなく、上に置く携帯トイレも法律の解釈 で補助対象となった。
    なお、簡易トイレ、携帯トイレ、ポータブルトイレとか種々の名称があるが、国、自治体、学会でもまだ、トイレの分類法というものが確立され ていない。また、区や全国の自治体におけるトイレの担当部署が種々に分かれている。災害対策であれば防災課かもしれないし、下水道の延長線であれば 下水道課かもしれないし、し尿処理であれば環境部とかのセクションになる。トイレの名称がバラバラであるため、大型の簡易トイレを想定して10個送 ってくれと依頼したら、10個の携帯トイレが届くというような混乱もあった。    神戸市では、震災後全小中学校にマンホールトイレを整備した。
Q : 文京区では簡易トイレを各家庭に配ることはできないのか。
(司会): 公に頼るのではなく、各戸で準備すべきだと思う。
  Q : 震災で土地の区画がずれてしまったのではないか。
A : これが今浦安市での一番の悩みになっている。1万数千筆の区画の境界が確定できなくなっている。これは液状化で杭がどこかへ行ってしまった とか、側方流動で境界そのものの位置が怪しくなっているケース、復旧工事の中で杭が紛失した等の問題がある。境界が確定できないと資産売買も本来 できない。
    なお、トイレ凝固剤の有効期限は5年位(実際は別)なので行政が備蓄した場合、大量の廃棄物が出ることになるので、備蓄できない。25年間 もつ非常食もそうである。従って、各個で循環備蓄することが望まれる。
Q : マンホールトイレは使用時にどのマンホールにつけても良いのか。
A : 使って良いマンホールには、青い印が付いている。なお、道具(特殊なバール)がないと開けられない。
Q : 猫砂はどこで購入できるか。
A : ペットショップ等で入手できる。いろいろな種類があるので試してみたが、本当の砂より紙製(粒状)のものが良い。
Q : 震災発生時にトイレに水を流すため、風呂に水を捨てないで貯めておくと良いと聞いていたが、下水道が使えない場合は、流すのはいけないことか。
A : 基本的には、各自治体の下水道担当の人が今この地域の下水道が使えるかどうかの情報を流さなければいけないが、発災時の混乱の中では、実際には 告知は大変であり、張り紙を市の防災センターにだして住民に知らせるしかない。 従って原則は流さないことである。
A(上氏) : もう一つの大きな問題は、下水道本管は行政が整備しているが、自宅から下水道本管につながるところまでは、私有地なので、 マンション等個々の責任である。 この耐震化されていない部分は、地面から浅いところにあり、地震にも弱い。 従ってここが破損する可能性は大い にある。 阪神淡路大震災の時もこの傾向が顕著であった。 なお、復旧は、どちらかといえば、下水より上水のほうが早い。

(閉会の辞)小川さん : 今回の企画は、わたしの町会長時代から町会連合に提案したが逃げられていたものであるが、今回やっと「お結びの会」で 実現することが出来た。パネリスト各位の現実的に役立つ貴重なお話及び参加いただいた皆さんにスタッフ一同感謝いたします。  (文責 荒木)

  <関連資料>
    上氏の著書 : 「生死を分ける トイレの話」
     政府刊行物 : ドキュメント 東日本大震災 液状化の記録 「浦安のまち」
    その他  DVD : 「液状化との戦い」
          記録 : 「或る自治会だより」