周辺環境を含めた歴史的建造物の保存を

    周辺環境を含めた歴史的建造物の保存を
杜史としを育む会・湯立坂 池田正子

○近代和風住宅の傑作・銅御殿
文京区小石川5丁目、茗荷谷駅から春日通りを渡り千川通りに至る湯立坂を歩き始めると、「緑のトンネル」が広がっています。 その右手に、緩やかなカープをもった屋根と大きな屋久杉を門扉にした大谷美術館の入口をすぐに見つけることができます。 この門と、その奥にある主や主屋・庭園が主要文化財に指定された「旧磯野家住宅jです。3層の主屋は、屋根と外壁を銅板で覆った 主屋が建築当初銅色に輝き、近在の住民から銅御殿(あかがねごてん)と呼ばれたことにより、いまでも通称でそう呼ばれています。
 この建物は約100年前、山林王といわれた磯野敬氏が、当時21歳の俊秀の棟梁・北見米造の技量を見込んで、「時間と経費を心配 せず、火事と地震に強い家をつくるように」と注文した建物です。日本全国から資材を集め、例えば木曽御用林から特別にヒノキ、 畳一畳以上もある屋久島のスギ板、床柱には御蔵島のクワなど、庭の石に至るまで選りすぐれた資材を調達しました.敷地内に 鋳物エを住まわせ、使う金属の目的に合わせて現場で特別につくらせ、ガラスはベルギーから手づくりのガラスを調達し、7年の 年月をかけて完成させました。今では入手できない材料と、もはや失われてしまった匠の技によってつくられた、近代和風建築の 傑作です。
 屋根は銅板で軽くし、壁の漆喰はその特別な塗り方から関東大東災に遭っても壁にひび一つ入らず、戦災も無事免れ、保存状態の 良いまま100年以上の年月を経てきました.1998年12月に国の登録有形文化財に、2005年12月に国の重要文化財に指定されました。

○隣接地にマンション計画----心配されるビル風
しかし、今、その建物を、関東大書災以上激震が襲っています。2005年12月に、銅御殿に隣接する土地の樹木がいきなり伐採され、 約500坪の土地に、地下2階、地上12階の高層マンションの建築計画が進められ始めたのです。主屋の庇と計画地との間は、わずか数m しか離れていません。マンションの基本設計時に、設計者は隣接地に歴史的建造物があることを知らなかったというから、きわめて 問題の大きい設計になっています。
 2009年6月から始まったマンションの建設工事の振動により、銅御殿主屋の土壁の一部が剥がれ落ちてきたそうです。それよりも もっと憂慮されるのが、竣工後のマンションの建物によるビル風です.10年に一度、20年に一度という突風を考慮に入れなければ、 歴史的建造物の保存はできません。長く張り出した土庇が、下からの巻き上げるビル風によって吹き上げられてしまうことが心配され ています。
 銅御殿を管理している大谷美術館も近隣住民もマンション建設計画が明らかになって以、事業主、文京区、東京都、文化庁、区議 や国会議員に、ねばり強く交渉してきました。また、多くの人に知ってもらうためにシンポジウムを開催、環境を大切にすることを 訴えた市民集会やヒューマン・チェーンなどを企画して、この問題を広く訴えてきました。近隣住民のほかにも、学者・文化人など による会も独自の立場からアピールを出すなどして、この問題に取り組んできました。
しかし、事業主は計画を大きく見直す こともなく、2009年6月からエ事を始めてしまいました。行政は及び腰で、積極的な対処をしてくれません。そこで、2010年5月に、 近隣住民は文京区と文化庁に対して銅御殿と環境の保全を求めて訴訟を起こしました。文化庁を相手にした訴訟は、文化財保護法第 43条、第45条を適用してこの問題に対処せよという主張です。行政が動かないなら、司法の判断を。
ヨーロッパの街並みづくりのように、歴史的建造物を周辺環境も含めて保存することが必要な時代になっています。みなさん、 どうか応接してください。メール等は、hirotat@chs.nihon-u.ac.jp へ。(「建築ジャーナル」誌、2010年8月号より)